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Sun
2010.06.27
22:34
 
ついこないだガンガンでやったじゃん。
もうアニメになるのか、というのが第1印象。
原作とそれに付随した原作通りのアニメが同時期に終了というのは、商売としては一番良いんでしょうね。

月刊少年荒川弘もといガンガン9月号で原作最終話が再掲載されるそうです。
ただでさえ出版不況。コミックス発売を待てないほどに、そして他連載と比較できないほどの鋼連載終了後の危機感が何よりも優先されてしまった(結果他がなおざりになった)という印象。

と、冷めた目で見ていたわけですよ。

以下感想。
原作ネタバレあり。 

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号泣した。
冗談じゃなく号泣した。
本当に泣いた。
おかしい。原作では泣くという発想すらなかったのに。

そして。あれ?「レイン」あんなに良い曲だったっけ?(笑)
あんなに嫌いだった曲があらあらびっくり神曲ですよ。
ていうか、最初から挿入歌扱いで良くね?

その予感がしたのか、Bパートのアイキャッチがホーエンハイムとトリシャご夫妻!!
一番注目したのがここだった(笑)さすが私。

今回は、入江版鋼の錬金術師(主役:ホーエンハイム)の事実上の最終回だったと思っていいんじゃないかなあ。
とにかくホーエンハイムの描写だけは最初からやたらと丁寧でした。出番がないにも関わらず1クール目OPに出ていたりとか、妙な位置での総集編での最終回っぽい終わり方だとか。

エンディングとして「レイン」が流れて、本来のOPではトリシャが手を伸ばした先にいたと思えたのはエドだったのに、ここでは例の家族写真。おそらく手を伸ばした先にいたのは、墓の前に戻ってきたホーエンハイムだったんだろう。特に分かる描写ではなかったけれど、トリシャが迎えにきてくれたように見える。
「ぬくもりに寄り添いながら」ホーエンハイムとトリシャは今でもどこかにいるわけです。

ということは、OPで夢を見ていたエドは、自分の子供の頃を思い出していたのではなく、両親が仲良くいることが嬉しくて微笑んでいたっていうことだったりするんでしょうか。
といろいろ考えると、本当に あの OP「レイン」が好きになりそうだw



ブリッグスの兵たちが、妙に仁王立ちの<観客>に見えて困ったりとか、なんか緊迫感の全くない(勝つのが誰か最初から決定してるから)ボクシングの試合じゃんとか、迫力が全く足りないとかいろいろありましたが、全て帳消しでした。帳消しは言いすぎだな、そこしか見てない(苦笑)。久しぶりに(そこだけ)何度も繰り返して見たいと思える描写でした!とても良かった!!


*****

満足をして消え去ったグリードは、満足したからこそ消え去るより他の選択肢がなかったということか。


フラスコの中の小人の真理。それって結局、見た感じそのままに合わせ鏡(自分自身)ということだよね。
「わたしはお前だ」
生まれながらにしてフラスコの中に閉じ込められて、周りで人間たちが好き勝手に振舞っている。そしてホーエンハイムはそんなフラスコの中の小人の目の前で家族が欲しいと夢を語る。
どうして羨ましいと思わないでいられるだろうか。彼は所詮神にはなれなかった。世界の全てを知ることもできなかった。
・・・フラスコの中の小人は、そういう意味で、実に人間らしい存在だと思った。清廉潔白なる主人公サマよりも誰よりも。

「わたしは知りたかった!この世の全てを!何物にも縛られず、自由に、広い世界に!わたしは!」
アメストリス国内を、そして物語を縦横無尽に行き来する主人公たち。もっとも彼らにしても、軍だったり人質の存在だったりと何かしら縛られているわけだけど。そういう彼らを見て羨ましいとずっと思い続けていたんじゃないのかな。
ホーエンハイムの皮袋を得て、彼はその時自由を得たと嬉しかったのかもしれない。
ところが実際は地下にケーブルで繋がれた不自由な存在でしかなかった。七つの大罪を切り離したのは、それによって神に近づこうとしたというのも真理の指摘通りにあるのかもしれないが、もしかしたら、ある種自分の分身たる七つの大罪を使って縦横無尽に動きたかったんじゃないのか。やれ神に近づく、全てを知る、それらよりも本来の目的は<自由になる>ことだった。
「贅沢は言わないが、このフラスコから出られる身になれば、幸せかな」
もともと彼はフラスコから出たかっただけだ。

その手段としてフラスコの中の小人がとった手段は、錬金術だった。
錬金術を使うことで、神にもなれるし、世界の全てを知ることができると考えた。
ところが手段だった錬金術が目的と化してしまったとき、小人は正解を見出すことが出来なくなってしまった。

原作にはなかったけれど、消えかける肉体をもった小人の叫びを聞くホーエンハイムのカットが挿入されています。よくぞ入れてくれました!と拍手を送りたいくらい。ホーエンハイムは、フラスコの中の小人を生み出した・・・血を与えた・・・人物だ。これはBパート後半のとある描写に繋がります。

「私はどうすれば良かったのだ!」
「お前はその答えを見ていただろうに」

その答えとは。





「馬鹿いってんじゃねえぞ糞親父!」
「はったおすぞ!」
涙を流すエドを見て、「すまない、エドワード」と言うホーエンハイムの表情がとても良かったです。
(エドに注目しなかったほどに私ってば本当に主人公に思い入れないなあ)
ホーエンハイムに力を入れる、それが入江版鋼の錬金術師だ。
だからこそ、エドが周りの皆の名前を一人ずつ呼ぶ場面のラストに「親父」と言わせる。これ、原作にはなかったんだよなあ。正直、原作エドよりも好きだ。

何かあるはずだと考えて、自分の両の掌を見て微笑むエド。ここであることに気付いて決意する。
ここも原作にはなかった。
優しく微笑むのがいいですね。


Aパートでエドが皆の名前を読んだのとは逆に、今度は皆がエドに名前を呼ばれる番だった。こういう構成好き!良い!
「錬金術はなくても、皆がいるって!」
正解がこれということは、つまりはAパートの小人が叫んでいた「どうすれば良かったんだ!」の答えと一緒なんだろう。
小人は何をやらなければならなかったのか・・・周りの誰か(例えばホーエンハイムにでも)に助けを求めなければならなかった、いや、誰かがいると気づかなければならなかったということか。


扉を消すことで、自分が使えたはずの錬金術を失う。
アルを取り戻す代価は、エドの真理の扉(自分のだからどう使うか自由という理屈)。
もう二度と錬金術は使えない。
どうせ最初からちっぽけな人間。
小人の話と合わせて考えると、便利な錬金術を使わずに、誰かに手伝ってもらって(あるいは手助けして)皆で解決しよう・・・そういうことだろうか。
錬金術によってもたらされたというよりは、真理を見たことによって(錬金術を過信する)近道をしたわけで、その近道をできなくする、ということでいいのかな。自分自身の過信、傲慢さをやめにすることでもある。エドの言う「錬金術はなくても」の錬金術とは、真理の存在を含めた(それこそサブタイトル「扉の向こう側」)意味合いのほうで、理解分解再構築うんぬんの錬金術の原理とはちょっと違うような気がします。ということは原作を読んでいても全然思いつきもしなかったけれど。

「勝手口」にいたのはアル。
これは精神が混線してたから?
目覚めたアルは、なんだか妙に成長してる感じ。「よう、おかえり」と、あたかもちょっとそこらに買いものかなんかに出かけていた者に対して言うように軽く言うホーエンハイムが良い感じです。
ここの描写がホーエンハイム重視だったということは、来週に原作の該当箇所が描写されるということかな?


小人の声を聞いてやれたのは、ホーエンハイムかもしれない。それは本人も思い悩んでいて。原作では勝手に自滅した印象のあるフラスコの中の小人に血を与えてしまった人物として、ある意味責任を感じるようになってる。ここも原作よりも良い。
そこにアームストロング少佐がやってきて、今度はエドとアルがいてくれたことに感謝をする。エドとアルがいるのは、ホーエンハイムがトリシャと出会ったからこそ。
フラスコの中の小人にしても、エドとアルにしても、特にホーエンハイムが何かをしたというわけじゃないのにも関わらず両者に差がついてしまったのはなんでなんだろう。
皆がいてくれる、そういう正解にたどりつけなかった小人と、たどりつけた兄弟。周囲の環境、自分自身の在り方・・・ホーエンハイムを軸にして考えると実に面白い。
ただ、フラスコの中の小人のあの姿だと、どう考えても状況的に不利なんだけど。

今度はトリシャの墓に向かって「ただいま」と言ったのはホーエンハイム。長い長い旅を経て、ようやく戻ってきた場所。そこで彼は少しずつ死んでいく。自身の肉体の限界だった。エドとアルの前じゃなかったのは、彼らはもう未来に向かって歩きだしているからだろうか。金借りたうんぬんがなかったおかげで情けなさはなくなってました。

むしろホーエンハイムに感情移入が出来る描写になってる。
「ほんとおれって、しょうがねえなあ」
しょうのないひと、というトリシャの声が聞こえてくるようだ。
ピナコが見つけたときのなんだかおじいちゃんみたいになったホーエンハイムの顔に「レイン」がかぶさるのが本当に良かった。

フラスコの中の小人との出会い・クセルクセスの錬成から、トリシャ・エド・アルとの家族写真のエピソードを挟み、OP・ED映像、ベッドに眠るエドを見たこと、家族写真を貰いうけたこと、兄弟と協力して小人の力を防いだこと・・・そういったホーエンハイム視点の描写がたくさん示される。それはエドとアルではなく、ホーエンハイムの旅の過程だ。それを経て、トリシャの元にようやく戻ってこれた。

原作よりもやけに丁寧だったおかげで、見てるこちらも思わず感情移入してしまいました。
良い最終回だった。
原作より面白かったです。


というわけで、次週が本来の主人公たちにとっての大ラスです。
なんだか今更ながら楽しみになってきたぞ!


鋼終了記念とか、何かしらの企画があったらいいですね。
まあいくら鋼シリーズつってもどうせ水島版鋼にはあまり触れないんだろうけども。所詮過去作でオリジナルの扱いなんざそんなものさ。
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