感想置場。たまにひとりごと。
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Fri
2010.06.11
22:17
 
読後、まず最初に感じたのが「もうガンガンを買わなくても済む」だった。
何かしら過去を振り返るといった記事があれば買いますが、そうではない限りはこれで終わり。



ついに最終回です。
私が初めて知ったのが水島版1話。
某所でご紹介されてしまった通りの水島版ファンですので(?)、いわゆる原作ファンの方々に比べたら理解が浅い、のかもしれない。
それでもずっと好きで読んでた。
好きじゃなければ読みませんって。飽きちゃうって。



終わりというものはいつだって後に空虚さが残るもんだけど・・・

なぜだろう。不思議と気分が晴れやかだったりする。

ていうかアレか。今まで私がハマってきた作品て、打ち切りだったりするからか(笑)星矢なんて最終回がジャンプ増刊号に飛ばされちゃったんだよね。もっともジャンプ本誌でなくてもしっかり最終回をやってくれたのは恵まれていたのかもですが。

以下ネタバレあり。
コミックス派の方、アニメを待っている方はお気をつけください。

だーっと勢いに任せたので時系列めちゃくちゃです。




 

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第108話「旅路の果て」

結局コミックス8巻「エドとアルは○○○でーっ!!」が思いつかなくて四苦八苦してた昨今。
あまりにもハッピーエンドだった。

さて、良いように解釈してみる。

一番最初に感じたこと。
原作の最終回を聞いて作られたという水島版は、原作の最終回の<逆>をしたんだろうか。

一緒なのは、兄弟が旅に出ることと、その旅に女性キャラが同伴しないこと。
錬金術が使えないこと。

兄弟が旅に出る際に一緒かどうか、ウィンリィがエドの傍らにいるかどうか、エドがいつでも帰れる場所にいるかどうか・・・他にも何かあるかもだけど・・・見事に逆だった。
これは荒川さんの水島版への当てつけ?私は(自分の精神の安定のために)、水島版「が」原作と反対の結末を選択したと思いたい。実際スタッフは最終回の構想を聞いていたということなのだし、ネタバレを防ぐ必要もあったハズだ。
ごめんなさい。私はどうしても水島版鋼が大好きです。どちらが良いとか悪いとかそういうレベルではなくて、です。


ラストの見開きでエドとウィンリィ(やけに身長差があるんだが)の子供たち、アルやメイ・チャン&シャオメイの集合写真が、例の家族の肖像とほとんど同じ構図だったことに、とても満足しています。
父が離れていき、母を永遠に失った兄弟が、新たな家族を得た。
隣にはトリシャとホーエンハイムの墓の写真。お墓を写真に撮るなんて。でも、それもまたまぎれもない過去に家族があった形。それは受け継がれてゆく。メイが一緒にいるのは、アルにくっついてアメストリスにまた来たってこと?それとも彼女かしら。

恐らく18歳になった最後のウィンリィとの抱擁の時点で種残してんじゃね?と無粋なことを考えたのはここだけの話。ああでも純粋バカなエドだったら婚前交渉はしないか。
ここのシーンは、ああまで恥ずかしいまでにベッタベタに描かれるとは当初思いもせずに、軽く引いたのもやっぱり事実。男は言葉で語るんじゃなくて、背中で語るものが私的には好みだったりするのです(超個人的なことですね)。

ていうか、身長差ありすぎじゃね?

バッカニアはたくさんいる犠牲者のひとり。オリヴィエは女性としての姿ではなく、あくまでも軍人として貫いて描かれたのが印象的。
何気にファルマンが北のままなのは仕方ないか。

合成獣のオッサンがた。
ジェルソとザンパノは、アルとともに自分の身体を取り戻す旅に出た。
ゴリウスとハインケルは、ヨキとともにサーカス団らしき場所にいる。彼ら二人はありのままを受け入れたのかな。
それぞれの生き方がある。どんな生き方をしようが、それもまた彼らの人生だ。

チャン族も何もかも受け入れるという<強欲>さを見せたリンと、賢者の石を使い視力を取り戻したマスタング。
彼らの先には困難が待ち構えているだろう。でも支えてくれる仲間たちとともに生きていく。
多くの人々の命である賢者の石と、マルコーの願い・・・それと引き換えに視力を取り戻すということは、彼らのために尽力せざるをえなくなる。いきなり大総統になるという荒唐無稽な(漫画っぽい)結末ではなくて、正直安心しました。イシュヴァールで戦った者としての責任・・・それが、イシュヴァール政策だった。言ってみれば、過去に自分がやったことの尻拭いだ。

マイルズとスカー。
ここ最近ほとんど読み返していないので、FA60話時点でマイルズが何してるかさだかじゃないんだけど(苦笑)。
スカーは誰よりも優しい人になるような気がするなあ。いや、誰よりも優しい人にならなくちゃいけない。
文化の死は民族の死。もともと宗教が希薄だった感のあるアメストリス人ではなく、混血のマイルズが言ったことに意味がある。

旅に出るアル。
かつて父と父に似た者がたどった道を再び巡る。西の賢者、東の賢者と呼ばれた彼らに対して、今度エドとアルはなんて呼ばれるのかなあ。
ニーナのことを忘れられない。だから同じような境遇の(でも実際は人間がベースである以上ニーナよりは恵まれている)錬金術の犠牲者である合成獣のオッサン二人を助けたい、オッサンたちだけじゃないんだろうなあ。もっと大きなものを彼は見ている。 ニーナの決着は、これでついたわけじゃないんだなあ。これからだ。

2度目の人生を歩み始めたセリム。とりあえず、隣にいた黒ニャンコが可愛ゆいのう。
ホムンクルスである彼がこの先どうあがいてゆくかは、また別の話だ。きっと大丈夫。

ホーエンハイムの死。
魂のなくなった肉体を見て、デンは吠えなかった。そこにいるのは、ちっぽけな肉体だ。
エドに親父と呼ばれて、取り戻せたアルのぬくもりを感じて、彼が向かった先はトリシャの墓だった。アルの手を握った時の満足そうな表情が忘れられない。一つの終焉が、ひっそりと。


兄弟が家を焼いた時点で旅が始まったのだとしたら、旅の終焉はウィンリィを交えた3人で抱き合ったところじゃないかなあ。


「10もらったら自分の1を上乗せして11にして次の人へ渡す」
それが等価交換を否定する新しい法則。他の人にして貰った、それ以上のことを他の人にする。ここに打算が入りこんだらとんでもないことになるのは現実世界でままあること(「やってあげてるのよ」なんて台詞ほど聞くに堪えない事柄はない)。
でもこれ、「否定」とは言わないんじゃ・・・。等価交換してる10の部分はそのまま存在するっていうことでしょう?等価交換以上のことをやるっていうことでしょう?あれ、違った?
無償の愛とも違うソレは、要するに無駄なおせっかいはしないということなのかなあ。例えば錬金術で苦しんでいる人を助けたいというのは、ジェルソたちのように戻りたいと言う人々は助けて、そうじゃないハインケルたちのようにあるがままを受け入れている人々はそのままでいい。自分の懐に入り込んできた人次第でいかようにも変わる。同じことをそのまま別の人にやって喜ばれるとは限らない、もちろん望まれれば全力で1プラスしてお返しする、そういうことか?
プラスするのがたった「1」なのは、謙虚というか、分相応というか。できもしない・・・例えば神になる・・・ことではなく、あくまでも出来ることからやっていく。

あの兄弟ならば、そういうことを口では言いつつも、いつだって全力前回で事にあたりそうではある。そんで有難迷惑されちゃうんだよ。スカー釣り事件でセントラルを修復して回ったときのように。
自分が願ったことは、良くも悪くも、結局のところ自分にふりかかるもんだ。
しかもコレ、考えようによっては最初に10くれた人と次にあげる人が違うような感じでもある。誰かがくれたらその分お返しする相手が同じ人とは限らない。ともすれば貰わなければ何もしないようにも見えるけれど、というよりは、いつでも誰にも分け隔てなく何かしら自分は10貰っているのだから、常に1プラスしてお返しする・・・とも感じた。だから<否定>なのかな。


エドは、アルを取り戻そうとした右腕は取り戻し、母の人体錬成の際に失った左脚は機械鎧のままだった。
自戒のためだというソレは、過去を忘れない、ということだろう。
過去は乗り越えるものであって、否定するものではない。ましてや無かったことにするなんてとんでもない。
だから機械鎧のままで私としては良かった。
アルを取り戻すのに引き換えとしたのは、彼が持つ錬金術の力そのものだった。得た知識はどうなったんだろう。得た知識はそのままに<これから先の人生で使えない>ということと引き換えなんだろうか。

「真理とかいう物を見ちまってからそれに頼って過信して失敗してのくり返し・・・踊らされたよなあ」
実際問題真理を見て以降の彼が過信して失敗して~というよりは、真理を見る前からソレを求めた結果人体錬成をやらかしてしまったわけで、兄弟が誰にも頼らずに秘密裏に事を進めた結果が全てのはじまりだったと思えば、答えが「みんながいるさ」なのは納得がいく。結局大切なモノは、世界の秘密だの真理そのものだのではなく、常に傍らにあったんだよね。恐ろしく遠回りして、エドはようやく答えにたどり着いた。灯台もと暗し。気付かないもんだ。
逆の言えば、真理を得ようとした<おかげで>みんながいるということに気がつけたのかもしれない。もし人体錬成していなければ出会う事もなかった人々はたくさんいるはずだ。

対してフラスコの中の小人は扉に飲み込まれてしまう。自分を信じないからだ~とか言われても、ならあの黒い塊で何をどう信じろっていうんだろうなあ。勝手に生み出されてしまった当初から彼の中にあったのは常に絶望なんじゃないのか?だからあこがれたホーエンハイムの姿に似せて疑似的な家族(ホムンクルス)まで作ったんじゃないのか?神になりたいと願う小人に対して、かつて人間たちはどう接してきた?クセルクセス王の不老不死なんてものは、人間の勝手だ。
それでも真理は、小人に鞭うってきた人間たちには何もしない。あくまでも小人が願った「思いあがらぬよう正しい絶望を与える」。真理はあまりにも残酷で、正しい。自分が願ったことは、他人ではなく、あくまでも全て自分に降りかかる(だから死者は甦らないのね)。


「痛みを伴わない教訓には意味がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから」

1話の冒頭にある件が最終話にも出てきた。鋼という作品は、徹頭徹尾とは言わないが、最初から構想が固まっていた作品なんだということを実感した。

それを乗り越えた先に、「人は何にも代えがたい鋼の心を手にいれるだろう」(ここで水島版キャラソン「鋼のこころ」水島監督作詞・・・が頭に浮かんだ)

実際問題、人生なんてその<繰り返し>だと思うんだよね。鋼の心を手にいれましたー、完璧人間になりましたー、めでたしめでたし、良かった良かった、というわけではない。
人体錬成した夜から始まった「鋼の錬金術師」の物語として、あくまでもそれを乗り越えたことで得た何か(原作コミックス全27冊の道のり)によって、エドやアル(だけじゃなくて物語の全キャラが)「別の何か」が鋼として鍛えられたということではないだろうか。だからこそ、エドもアルもまた旅を始めるんだ。完璧じゃない、鋼だってきっと折れるときは折れる。そんなときに更に別の部分を鍛えて鋼にするために、彼らは旅をするんだろう。兄弟の旅路が再開したのは、きっとそういう意味もあるんじゃないかなあ。




「痛みの伴わない教訓には意義がない」と作中で語られていますが、なんだろう、作者のとんでもない自信の表れのような台詞だなとはちょっと思った。この漫画を読んで、その「痛み」とは旅の過程、もとい今までの連載を読み続けていた最中にあったものであり、それが終わった今は「鋼の心」と語られているとおり充実感(と呼ぶならだけど)・・・今充実感でいっぱいだろう?と言いたげだと感じたのは私だけか。

そしてつくづく感じたのが、己に希望と責任を持て、良くも悪くも全て己に降りかかる。・・・ということ。


読後はあくまでも爽快です。
終わったなあ、安心して次に行ける、そんな気分。
けど続けようと思ったらやっぱりいくらでも続けられる終わり方だったとも思います。番外編とか。

とはいえ、人生の一時期私の心を鷲掴みにした作品には違いありません。
楽しくもありちょっぴり苦しかった6年間でした。
きっとずっと心に残っていくんだろうなあ。
とりあえず読むつもりの(ハマるとは限らない)次回作が楽しみです。

その前に26巻&27巻だな!!


荒川先生およびスタッフの方、お疲れさまでした。
とても面白い漫画を、ありがとうございました。
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テーマ * 鋼の錬金術師 ジャンル * アニメ・コミック
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Comment
 

「痛みを伴わない教訓には意義がない~」を見た時、あぁ、この作者は本当に構成が巧いなって思いました。同感です。
『ハリー・ポッター』同様、紙面に乗る前に綿密な作品構成・展望が無いと出来ない芸当ですよね。

勿論、某少年誌のように打ち切りや引き伸ばしをすることもなく綺麗な幕締めを許した少年ガンガン編集部の英断も然り。

FA版最終話を見た後だから言えますが、劇場版制作決定っていうのは蛇足ですよね、笑。私は読後感に浸っている方が好きなので。貴方は如何です?

NAME: | 2010.07.04(日) 22:11 | URL | [Edit]

 

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。

劇場版については、蛇足かそうでないかの選択で言えば、蛇足だと思います。
主人公の悲願<元の身体に戻ること><笑顔を見る事>を果たしていて、そういう意味で主人公の決着がついていて、見事なまでに綺麗に終わってますよ。
なら映画化して、何を目的にして、どう過程を経て、何を得て終わるのかを考えた場合、主人公にとって肉体を取り戻す以外で一番の願いっつったらアルのセリフにあった通り、ニーナみたいな可哀そうな女の子を救う(最終回にあったキメラのおっさんを元に戻すでも可)ですよ。死んだ人間が生き返らない設定上、ニーナ自身を救うことはできない。そうなると、よくある番外編のパターン<ゲストキャラを救う>(自分の立ち位置は何一つ変わらない)になっちゃいますよ。主人公の物語ではなくなっちゃうんですよ。
仮に主人公の物語になったとしても、もう全て今までを越えられないだろう、と。たぶんファンサービスに徹した作風になるんじゃないかと予想してます。

特報を聞いて一番最初に思ったのが、どれだけ金を搾取すれば気が済むんだ、でしたもん。
結局のところ、評判が良かったから劇場版というよりは、何本も発売されたゲーム同様最初から予定としてあったんじゃないですかね。何しろ昨今は空前の劇場アニメブームですから。



引き延ばしは、どうかなあ・・・あくまでも原作準拠で原作終了とアニメ終了を同時期にまでやった間柄のせいか、劇場版ということで0巻商法にも似た番外編、もしくは劇場版の下敷きストーリー掲載とかフツーにやりそうな気が(苦笑)。
余韻に浸らせるあの終わり方で十分ですよ。終わらせてやってやれ、と。

NAME:ともえあや | 2010.07.04(日) 23:52 | URL | [Edit]

 

原作とアニメ両方のラストの感想をさせてもらいます
一言で言えば「綺麗すぎる」です
エドとアルの体も戻って好きな子に告白して家庭を得て・・・
1話で恋人を失ったロゼに偉そうな事言った割には自分には家族がいないとダメっていうのはどうにも説得力に欠ける気がします
好奇心が強い賢いけど馬鹿な子供がいたずらに禁忌を犯し弟の体と手足を失った
厳しいようだけどこの時点で裁かれなきゃいけないはずなんです
だけど免罪符として国家錬金術師になって自分達の体を取り戻したから旅をする
言ってしまえば物凄い自分本位です
本当に教訓になったのならばそんなことはせず
失った体のまま生き続ける
それが償いだと思うのです
実際兄弟の旅のせいで死んでしまった人たちもいます
ニーナはエドの存在に焦りを感じたタッカーに実験台にされ
お人よしな大人のヒューズは関わったばかりに殺されてしまった
それでも戻りたいというのはあまりにもエゴイステックだと感じました
作中で彼らを糾弾するような人が少ないのもなんだかなぁと思いました
「誰もあきらめろとは言わなかった」と台詞がありますが周りは優しすぎると言うか甘すぎるというか
ただ足は戻さないという自戒はやはり後ろめたい気持ちがあるからしたのであるということでそれはよかったと思います
これでアルの体も戻って五体満足になってたら評価はガタ落ちでした
真理の扉を対価にするのは正直「えー・・」という気持ちでした
錬金術を使えない人にとってはあっても仕様がない物=生きていくために必ず必要でないもの
を対価にしてそれで1人の人間の体が戻ってくるってのがどうにも納得できませんでした
錬金術がエドのアイデンティティだとしても使えなくなるだけで副作用やリスクを抱えるわけでもありません
言ってしまえば退職するから退職金を貰っただけの話です
失うとかじゃなくて当たり前の常識
等価交換ですね
と、言うことで駄文で長いのくて大変失礼でしたけどよくよく考えたら「漫画」だから読者を楽しませるのが一番と言うことが当り前ということです
荒川先生はエンターテイメントとしてこの作品を作ってくれたのですから最後は後味のいい終わり方にしてくれたのでしょう
むしろそれがプロだと思います
ただ私としては戻ってこないからこその教訓もあると思います
取り返せてしまったら学ぶことは少ないと思いますから・・・

NAME:スーザン餡子 | 2010.07.05(月) 02:21 | URL | [Edit]

 

コメントありがとうございます

>綺麗すぎる

同感です。「少年漫画」というよりはもっと小さな子のための為になる読み物といった印象を受けました。全くと言っていいほど毒っ気がないんですよね。

ただ、家族の喪失が家族の始まりに繋がる といった主題は私的には満足ですけどね。皆さん結婚しなさい、そうすりゃ良いことありますよ~的な上から目線の説教だったらそりゃ反発しますが(笑)、まあそんなこともなかったです。

償いは、何を持って償いをするのかは時と場合によって異なるのではないかと思います。例えばエドが全く反省のかけらもなく似たような人体錬成を繰り返すといった事でもあれば「罪を償う」という意味で機械鎧の身体でいなければならないかもしれない。
でも、実際問題罪を赦すか赦さないか、といった観点で見た場合、罪を赦すのはあくまでも他人なんですよ。エド自身ではない。となると、周囲の大人たちがとにもかくにも(都合が良すぎるほど)エドたちを護ってくれる。道を示してくれる。てことはエドはとっくに罪を赦されているんですよ。赦されているからこそ、アルと引き換えにした右腕は元に戻った。

ところが、です。
戒めとして残った左脚は母親の人体錬成と引き換えに失った箇所です。母の人体錬成は子供ながらの無邪気さ故に、母への思慕故に犯した罪・・・だったのが人体錬成した者が母ではないと証明されたおかげで最初は「罪」だったものが「罪」ではなくなってしまった。「禁忌」とされてきたのは、倫理的な禁忌というよりはあくまでも人を作ったら兵士として大量生産されるのを防ぐ、といったものでしかなかった。死者が生き返らないのは真理なので、人体錬成したところで死者は確実に甦ることはない。
となると、もう最初から罪ではなかったのだから、兄弟が脚を失ったのは自身の過失ということになるわけです。過失なんだから・・・罪かどうか、あるいは赦す赦される以前の問題で、そもそも彼らにあるのは自分自身の肉体・あるいは兄や弟に対する責任問題なのであって、母親の人体錬成がどうのこうのというものは入りこむ余地はない。兄弟がお互いの肉体を取り戻したい、笑顔を見たい、といったものは罪を償うとかではなく責任として元に戻ろう、ということに私は受け取っています。兄弟がお互い納得して事を進めている以上、償うだとかそういう問題ではないんです。

ただし、

>作中で彼らを糾弾するような人が少ないのもなんだかなぁと思いました

には同感です。周囲が優しすぎる・・・それは良いんですが、同時に存在するハズの相対する意見がまるでないのでご都合主義に見えてしまう。そこがちょっと嫌でしたね。

等価交換にしたのは、錬金術そのものではなく錬金術の媒体となる扉そのものであったと解釈しています。作中ではしっかり錬金術なんて言ってますし、作者も錬金術は要らないものだとインタビューではっきり言いきってしまったのはアレですが(作者が主題ていうか意図を語るべきではない典型かと)。
各自の中に扉は存在しているので、エドが錬金術を失ったところで他の人も同様に失うわけではない。
錬金術を使えないことによって、元々手パンであっさり出来ていた屋根の修理なんか恐ろしく時間がかかりコツコツやらなければならなくなった。・・・同じように、周りの人に認められるためには、12歳で国家錬金術師になったような天才的錬金術の腕前をもう披露することは出来なくなったので(スカー釣り作戦終了後やパニーニャとの追いかけっこのあと錬金術でちゃっちゃと町を修復してまわってましたよね)、指をトンカチで叩いて痛い思いをしつつ地味に治さなければならなくなってしまったのです。錬金術が必要ない、とはつまりそういうことなのではないかな、と。彼はアイデンティティとも言える錬金術を失ったことによって、時間をかけて物事にあたらざるを得なくなってしまった。錬金術を元々使えない人間にとっては当たり前のことでも、錬金術の便利さに慣れてしまったエドにとっては、そりゃもう大変なんじゃないかな。錬金術は使えない、使えないからこそ地道に努力していかなければならない。生きていくために必要かどうかで考えれば、時間をかけてでも錬金術と同じことが出来るのであれば、それはもう「これから先は、<錬金術に頼ること>が必要がなくなってくる」。
これは、肉体を取り戻せたからこその教訓と言えないでしょうか。
人体錬成をした証である扉(の存在を知ったこと)を消滅させることによって、機械鎧ではなく肉体に戻った。ところが結果的に地道な努力をしなければならないハメになってしまい、錬金術師ではない一般人として生きる事を自ら選択した。手パンできなけりゃ「国家錬金術師エドワード・エルリックでーす!」と鼻高々に自慢することもできなくなってしまうわけですよ。ましてや何かにつけ等価交換を引き合いに出さなければならない性分のくせに、錬金術が使えないということは自己否定にもつながってしまう。そうならないための教訓として地道な努力すれば同じ事が出来る、なのではないかと。

取り戻せてしまったらその時点で満足なんです。満足してしまったら、それこそそこから学ぶものなんざ一つもない。
エドが屋根の上で地道に修理していた描写があったのは、肉体を取り戻せたからそこで満足したわけではないからこそなんではないかな。取り戻せたからこそ学ぶことがあったのは、何度も繰り返しますが、地道な努力が必要不可欠であるということ。

錬金術という便利なもので死者は甦らなったけれど、錬金術を失うことと引き換えに生者は取り戻す事が出来る。
死者は甦らないのは真理。魂が少々離れたところで元の肉体さえ生きていれば魂が戻ることは可能。魂は鎧という無機物にすら定着することができる。・・・そういった情報を加味すれば、アルの肉体は真理空間(扉の前)で既に元に戻って肉体と魂が全て一緒になっている。後必要なのは、扉までの生き方と帰り方でした。行く方法は自分自身の人体錬成で、扉を対価にしたのは帰り道です。・・・気が付いたらいる場所が扉のある空間だったはずで、扉から出入りできるのかどうかという細かいことは抜きにして(笑 ていうか扉の向こうにあるのは知識のつまった空間だったハズ)、アルの肉体を戻すために扉を対価にしたというよりは、2人分の帰り道のための対価だったのでは(たぶん)。
ふたりで精神の混線を解いた形で元の場所に戻ってくるために、扉を消滅させて錬金術を失わなければならなかった。たとえ錬金術を失ったとしても、エドはそれから先にどう生きていくかの決心がついていたからこそなのでしょう。

とはいえ、この場合、錬金術師となるためには膨大な書物を読んで知識を得たからこそ錬金術を使える・・・といった錬金術師もまた努力をしたからこそ錬金術師でいられるという部分は何故か考えられていないような感じでした。特に必要ない、とまで言い切られてしまうと。だからこそ、錬金術で手にいれた知識はどうなったんだろうと疑問に感じてしまうのです。錬金術自体がダメな存在だと作中で描かれていましたが、かといって彼らが努力して錬金術師でいた化学の知識(錬金術師は化学者)は決して無駄ではないハズなんですが・・・最終的に槍だの突起だの錬金術はバトルのための道具としてしか使われていなかったので、そういう意味で必要ない だったのかもしれません・・・。
ここは本編読んでもよく分からないというか。

錬金術が必要ない、ではなく、錬金術に頼ることが必要ではない、もしくはこれから先の人生においてもう錬金術が必要ではなくなった なら分かるんですが、錬金術の存在そのものと受け取りかねないのは完全に描写不足だったと思ってます。


>「漫画」だから読者を楽しませるのが一番と言うことが当り前

そりゃそうでしょうね。
ただ、作者は楽しませようと書いたとしても、受け取り手がこりゃだめだったと思う場合もあるわけで。
エンターテイメントの「正解」としてこのハッピーエンドがあるわけではないと思いますよ。数ある選択肢のなかから、作者荒川弘が選んだのはあの終わり方だったというだけです。ハッピーエンドだからそれだけで満足~という読み方もあるでしょうが、ハッピーエンドに至るまでの過程が満足だったから良かったという読み方だってある。あの終わり方で納得しない、という意見も見ました。キャラに想いを馳せるか、作中の伏線回収を見る人もいる。
読者なんて千差万別で、全てを楽しませることは出来ない。でも、いかに多くの人を満足させることができるのか、それが作者の力量が試される部分です。後味が良いこと自体ではなくて、後味が良いことに少しでも多くの読者が満足してくれれば、それで成功なのです。決して正解ということではなくて。

もっとも私の場合、どっちかというとあまりにも後味が良すぎて心に何もひっかからなかったですけど。後味が悪かった方がいいとかいうんじゃなくて、何かしら考えさせるものがあれば良かったんですが、全てにおいてあの最終回は良い方向にだけ自体が転んでいたので、そこに考える余地もなかったな、と。ああそう、良かったね。おめでとう。としか言えないというか。




なんだかとりとめのない長文になってしまいました。すみません。
まあ心にひっかかからない後味の少ない終わり方だったなと思ってますが、それでもこれだけ考えることができれば良いのかもしれません。
いろいろ考えることが出来て楽しかったです。コメントありがとうございました。

NAME:ともえあや | 2010.07.07(水) 21:33 | URL | [Edit]

 

大変長い返事ありがとうございます

>となると、もう最初から罪ではなかったのだから、兄弟が脚を失ったのは自身の過失ということになるわけです。

よくよく読んでみるとそうなんですよね
世間じゃ悪いと言われいる、けど何が悪いのかという理由は曖昧なもの
結果として人体錬成という事をしてしまっても「目的」は力を手に入れることではなかった
だから罪ではない
これだけの話なんですよね
それで納得いかない所が一つだけあります
人体錬成の事をふっ切るイベントが遺骸を掘り返して母親ではないと確認するというもでしたね?
母親じゃないからよかったって事実はいいんですが
こんな簡単にトラウマなくしてよかったのかとも思ってしまいます
彼らの事を糾弾しつつ認めるキャラが欲しかったというのもあります
スカーでは元敵であり人を殺めているので全く説得力がないので問題外
ヒューズを失ったグレイシアがきつく糾弾した後、彼らのひたむきな姿を見て認めてあげるのがよかったのかなぁとも思います
総合的には素晴らしいけ漫画ですけど
主人公の周りが味方で優しすぎるというのはどうにも馴染めませんでした
1期のアニメはそこら辺を上手くカバーしてくれたので原作も影響するのかと思いましたが
どうやら真っ向からの対抗意識があったようで・・・
でも長い間楽しませてもらったことは事実です
どんな良くても「漫画」は「漫画」
娯楽だから必要以上にのめり込むとかえって疲れてしまう
入れ込み過ぎるとどっちが現実かわからくもなります
とにもかくにも
完結してくれたことだけで自分は満足です

NAME:スーザン餡子 | 2010.07.11(日) 03:16 | URL | [Edit]

 

コメントありがとうございます

>彼らの事を糾弾しつつ認めるキャラが欲しかったというのもあります

そういうキャラがいなかったですよね。
私もそこが物足りなかったです。といいつつ、出会った当初のマスタングはそんなカンジではあったような気もしますけど。

対抗意識はあったでしょうね。この件についてはFAアニメ化当初の動向と一緒で思うところは多々あります。
が、もう終わったことなんで(笑)。最終回も無事に迎えた今、そして綺麗に次に進める今となっては、

>完結してくれたことだけで自分は満足です

ってことだけですね。もう今更何も語る気にならないというか。

>娯楽だから必要以上にのめり込むとかえって疲れてしまう
>入れ込み過ぎるとどっちが現実かわからくもなります

その作品に入れ込めば入れ込むほど、読者たる自分の読み方(あるいは解釈)を相手側に求めようとしてしまいます。相手側というのは作者だったり自分と意見の違う他人だったり。
他人の創作物をああじゃない、こうじゃないこうすれば良かったのに~とツッコむのは読者側の権利ですが、それを創作者たる作者に強制できるわけじゃない。だからこそ >疲れてしまう わけです。

ま、なんにしても気楽に楽しめればいいか~な感覚で読めればいいんじゃないかな、と。
そういう意味では、鋼には、私としては水島版アニメ開始時からだから6年半の間楽しませていただいたので、作者さんにはありがとうと言いたいです。




NAME:ともえあや | 2010.07.19(月) 23:40 | URL | [Edit]

 

 Secret?

 

 

 

 
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