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Mon
2010.03.22
08:52
 
原作ネタバレです。 

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今月号の鋼。
少年漫画読者として、ラスボスのお父様最終形態にはがっかりだった。
彼が優位になったのはほんの一瞬。国土錬成陣を発動させ大多数の国民を取り込み、情報システムの神を自らの身におろした瞬間。三日天下(時間的にはほんの数分か)とはこのことだと言わんばかりに。

疑似的な太陽(核融合)を作りだしたりと彼の強さは見せていたが、いかんせん強く見えない。そちらよりもエルリック家の親子かめはめ波の方が迫力あった。ように見えた。
つまりは親子かめはめ波こそが作品の主旨、という事なのだろう。お父様のあの姿は、とある家族の強さや(ここにきてようやく描かれた)親子の結束を示すための小道具にすぎない。とある家族の父と同じ顔を持つ者(模倣者)と、家族の対比がここで描かれている。たぶん。

ホーエンハイムにしろ兄弟にしろ、逆転のための模索なり研究の知識なりは彼らの足で地道に歩いて得てきたもの。ひとつずつコツコツと得てきた。
対してお父様と呼ばれるフラスコの中の小人は、常に誰かに事を起こさせてきた。自分で子供たち(ホムンクルス)を作りだし、軍上層部という使い勝手の良い馬鹿どもを使って。今回にしても自分の身に惑星レベルの知識をおろしたけれど、自分でそれを使う術というものがせいぜい他人を物理的に攻撃する程度。神、というからには人間を絶望させるだけの何か秘策があるのかと思いきや、子供や猫のように物理攻撃するだけで、かえって人間たちは結束して神の攻撃を打ち払ってしまった。惑星レベルのシステムを除きこむことはできても、思うように扱い切れなかったのだ。

ああそうか、人間・・・あの家族は一度絶望を経験してるか。死者は甦らない事。
それに比べてしまえば今回の事は絶望ではない。なぜなら皆が生きているから。一度の出来事が、彼らを強くしている。
ほんのちょっとの綻びさえあれば、核融合でさえも逆転は可能。そしてお父様と決定的に違うのは、とある家族に完全なる他者(メイ・チャンの錬丹術)が協力する事で外部の知識が入り込み新しい力になるということ。自分だけの凝り固まった知識と、外部からの協力を得た力と、どちらの力が強いのか。後者だ。

お父様に対決するのは、家族の結束と、地道な努力と、他者の協力と、その全てだった。それがお父様を上回ったのが今回。少年漫画的な「ラスボス」のカタルシスではない。


そもそも主人公が倒す、というシチュエーションは来月号以降だ。お父様がホーエンハイムの相似形として描かれているのならば、その意味でもラスボスにはふさわしくない。ならば主人公が相対するものはなんだろう。他者か、あるいは目の前にいる父親か。彼の腕や脚を持っている真理か?ある意味父に似た者(かつての父が作りだしてしまったもの)を倒す、というのも父を超えるというひとつのシチュエーションなのかも?

アルを元に戻す、それはアルが自分でなんとかするだろう。それはエドの最大の目的ではあるだろうが、もはやエドにとっての障害ではない。

それとも、コミックス24巻以上費やして描かれてきたエドワード・エルリック(アルも)の姿こそが、彼が乗り越えなければならない者のなのかな?いつだってなんとかなってきた。倒すべき者というよりは乗り越えるべき者になるけれど、自分自身なのかもしれない。
となるとラスボスと呼ばれる者の実態が分かるのは、鋼が終わった時かも。
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テーマ * 鋼の錬金術師 ジャンル * アニメ・コミック
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