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Sat
2009.07.18
21:56
 
今月号の付録でDVDがついていましたが、今度出るPSP用ソフトの販促でもう一度出るとみた。
こういう付録は大好きです。これで500円はお得すぎる。保存用にもう1冊買おうかな・・・←スクエニの思う壺
仮にBDが普及して安くなったら今度はBDになるんでしょうか。

そしてWii「暁の王子」・・・絶対にロイエドさんを狙ってるでしょうw

来月号の応募者全員サービスは切手シート!これは買います。

以下ネタバレ。
 

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第97話「二人の賢者」

「西の賢者」がシンの商隊に助けられる。それによってシン古来の技術と西の賢者の技術が合わさり、錬丹術として発展することになる(10巻)。

東の賢者とは、お父様であるフラスコの中の小人・・・ホムンクルス。考えてみたら、小人の本当の名前は存在しないのでしょうか。ホーエンハイムを「模した革袋に入っているようなもの」(20巻第82話「魂の家族」)である彼には、結局どこまで行っても「名前をつけてもらえなかった」のかな~と思うと、ちょっとだけ切なくなってしまったり。「お父様」と言っても、それこそ「家族における役割」に付けられた名前のようなもの。それに19巻第74話「フラスコの中の小人(ホムンクルス)」では自らをサブタイトルどおりに「ホムンクルス」と呼んだけれど、これにしても自らを客観的に何かを言っているようなもの・・・人間が自分を「人間」と呼ぶのと一緒。
つまり、小人に名前が存在しない。

人間が生まれて初めて与えられる名前は、必ず他者がつける。なぜなら生まれたての「自分」は名前をつけることが出来ないから。
まあ、当たり前のことだけど。フラスコの中の小人は奴隷23号に「ホーエンハイム」という名を与える。それはある意味23号の親代わりとも言える。そして第75話「クセルクセス最期の日」にて小人はこうも言う。「私がこの世に生まれる事ができたのは君が血を与えてくれたからだ。言い換えれば親だな」これは子供の立場としての言い方なわけで。家庭を持つことを「不便」だと言い切る小人が、やがて自らが作りだした分身たちに「お父様」と呼ばせて疑似的なコミュニティー・・・家族を形成してしまう矛盾。親でもなければ子でもない、でも親でもあり子でもある名前のない存在であるソレが一番欲しているのは何だろうと考えると興味深い。自分だけの固有の名前・・・アイデンティティを示すものがなければ、どこまで行っても欲しいものは手に入らないと思うんだけど。たとえアメストリス全土を覆う錬金術を発動させて、自分が人間を見下そうとしても、です。自分をホムンクルスと呼べ~とか言いながら、自分が作りだしたホムンクルスにはしっかり七つの大罪を付けているあたり、一番欲しいのは名前という「個」だったりしてな、なんて。全は一、一は全。全は一の集合体であり、一は一として確固たる地位がなければいけないんじゃないのかな・・・
他作品を鑑みると、某ヱヴァでは獣と神は紙一重みたいな描かれ方(その違いを考えると面白い)をしています。某オーフェン長編小説では神は意思を持つことで万能ではなく不完全な存在になった(神は意思を持たないからこそ神)と描かれています。鋼はどうなんだろうなあ。

・・・ということを、ホーエンハイムが個々の名前をひとりひとりわざわざ列挙してまでお父様と対峙した場面を見てつらつらと考えてしまいました。お父様が見下す人間たちには、ひとりひとり名前があるんだよね・・・

だから入江版にはモブの描写を大切にしてほしいのです。

それはそれとして、自分を目の敵にしていた「奴隷仲間」のアンダルの話をさらっとしてしまうあたり、どんだけ天然なんだよ、とはちょっと思いました。目の敵にされていても、たいして気にもしてなかったっていうことなのでは。さすがホーエンハイム。

長い年月をかけて賢者の石となった魂のひとりひとりと対話をし、彼らが自分に協力してくれるというホーエンハイム。たとえ目の敵にされていようが、極悪人だろうが関係なく。対話、面と向かって話す以外に協力はありえない。
対話はいつ終えたんだろうなあ。ていうか、トリシャさんと出会った頃はどうだったんだろう。子供を作るときに対話をしていてはアレなんじゃないかと一番最初に読んだときに考えてしまったYO。
これって、同時に自分探しの旅みたいなもんなんじゃないでしょうか。中にいた存在を自分内部のものだと考えれば(人間て多重人格のようなもんだと思ってます。元気なときもあれば落ち込むときだってある。強いときもあれば弱いときもある)。でもそれを終えて初めてトリシャという自分以外の他者が見えたのではないでしょうか。自分探しなんてケッという荒川さんですが、だからといって自分の作品に完全に反映しないというわけではないでしょうし。
ホーエンハイムにとって、賢者の石である以上中の魂たちと対話せざるを得ない状況。でも対話を終えたらそこに強い自分がいた。たまに「自分は化け者」だと言う弱さを示していても、トリシャという他人が包み込んでくれるぬくもりを知ることができた。・・・読者の中には自分探しをしてしまう人だっているハズ。これが荒川さんのひとつの「答え」じゃないのかな~と勝手に予測してみる。

「全員と対話を終えている!」というホーエンハイムのなんと堂々としたことか。他者との対話、自分との対話、その両方を描いている面白いキャラだと思います。

それにしても、意外とあっさりお父様の皮がはがれちゃったな、と。ホーエンハイムが魂の個の部分をもっているのだとすれば、フラスコの中の小人は全を持ったのでしょうか。あの目がプライドのようです。もう彼らに意思はないんだろうなあ。そりゃ名前をつけられないはずだよな、と。

「我々の-----勝ちだ!」

「ただいま 諸君」

ここすごい好き!!!ページをめくってひとつ間をおいてのキング・ブラッドレイのセリフ!なんという圧倒的な存在感!なんというカタルシス!!
この話はちょうど入江版14話「地下にひそむ者たち」が放映された後で、それこそ大総統がグリード相手に圧倒的な力を見せつける話でした。なのでここでも大総統が暴れているので、そのリンクっぷりがたまらないのです。仮に偶然だったにせよ、こういう漫画とアニメの相乗効果が大好きです。ある種必然のような気もするし。

「すみません マスタング大佐・・・俺・・・・・・ここで死ぬかも・・・・・・」

しっかり銃口を向けつつ、涙をポタポタと流すファルマン。
ここで私的に感情移入しました。今回の話はファルマンに持っていかれた・・・!! お父様の中の人は恐ろしく攻撃的だけど、ホーエンハイムの中にいる人たちには、戦うことが怖い、という人もいるに違いない。

でもここで、どうしてブラッドレイは剣を止めたのでしょうか。
もしかしたら~ですけど。

「見捨てる気持ちにはなれねぇんだよな」
というグリードリンの言葉と同じ気持ちになっていたら、いいなあ。

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テーマ * 鋼の錬金術師 ジャンル * アニメ・コミック
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