感想置場。たまにひとりごと。
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Fri
2009.06.26
23:47
 
感想その3。
チコやメイスンが省略されてしまったことについての感想(主観です)。

ていうか書いてたんだけど、消えた・・・orz

で、昨日ブルーレイ「聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話」1巻が届きまして。鋼そっちのけで何度も何度も見てました。面白かったよ!耶人とテンマの出会いがオリジナルで描かれていました。最初は対立してたのが友達になるって、少年漫画の王道だよね。そこをわざわざ入れた往年の本家星矢脚本家でもあった菅良幸さん、さすがわかってらっしゃる。好感触!

ということで、今回はちょっと辛口。
そうはいっても、原作ファンを名乗るにはおこがましいほどの頭の悪い人なので、深いところなんてものは全然語れていませんが・・・orz  

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チコの省略については上手い省略の仕方だと思いました。
それはエドとアルの過去に置き換えられたから。

2話で母親との関係は、本当にさらっとしか描かれていなかった。映像で母子の絆が描かれるわけではなく、エドのナレーションで語られたのみ。
たぶん最初からここで使うつもりだったんだろうなあ、なんて思ってます。あくまでも兄弟の話として落とし込むために、ここで使うしかなかった。

死んでしまった猫「チコ」を直してという少女メニィは、そのまま死んだ母親を甦らせようとした兄弟につながる。尺が取れない以上どこかで何かを省かなければならない。ならばそれは、兄弟の話に置き換えることができるチコの死についてだった・・・んだろう。

だけど、おかげで「世界」は狭くなっちゃいましたね。

今回の話の登場人物は兄弟とカーティス夫妻。この4人以外の人が「存在しなくなった」。

第7話の感想で書いたことではあるのですが、もう一度。

別に物語的に必要ではないのかもしれませんが、物語の幅が感じられないのはこういう部分にこそあると思うのです。つまり、主要キャラの枠内でのみ物語が収まってしまってる。

エドやアル以外のキャラクターも、同じようにこの世界で生きている。何かを考えている。原作では感じられる空気が、鋼FAを見ていて感じられるだろうか。1話の中で濃くやればいいというものではない。全体を通してあくまでも積み重ねで描写されないと分からない。そういうの、モブで表現できるわけないじゃないか。この世界観の狭い中で、むしろいたるところにあっちこっち無意味にモブがいることで余計に世界の狭さを示してしまってる。
炭鉱やトレインジャックが省かれたのは、上手い省略の仕方。今回のチコの件も同様に上手いって思った。でも省略できたことと引き換えに、世界観が狭くなったのは否めない。

そしてメイスンがいなかったこと。

メイスンはヨック島にイズミによって万が一があっては困るからと送り込まれた男です。

以下は水島版ではなく、原作について語っています。

弱肉強食が成り立ち、食物連鎖が自然に成り立つ世界であるヨック島。まるでジャングルのような木々に覆われ、肉食獣も草食獣も共存する。蝉が鳴き、足元には蟻が群れを作っている。
そこは湖という小さな宇宙に浮かぶちょっとした生命の塊・・・地球のようなものだ。そこで兄弟は「一は全、全は一」を学ぶことになる。

上手い省略の仕方だと思いました。メイスンがいないことで食物連鎖が分かりやすくなった。
人間ですら腹が減っては何もできない。ちっぽけな存在。だから食べ物を大切にしましょーという教訓ですね(母親のシチューと絡めるとこうとしか読み取れてしまう)。

私は、今回の話を生への賛歌だと受け取った。

原作では死んだ蝉を用いたのを、わざわざ生きている蟻を食うという表現に置き換えたのは、食物を食べるという行為が「生きている」ことそのものを示すためだと思った。

冒頭で母親が作るシチューを持ってきつつ更に母の死に対して何もできなかった兄弟を描く。母狐がl兄弟がせっかくとった獲物を奪い取り子狐たちに与える。獣をさばくことすらできない兄弟はただただそれを黙って見るより仕方がなかった。
そして飢えた結果蟻を食うことで腹を満たそうとした己から、シチューを作ってくれる母という存在のありがたみと同時にヨック島の動物たちも同じだということを知る。何も出来なかった兄弟は、食べるために、ひいては生きるために獣を狩って食べていく。食物を通して皆が生かされている。死んだモノも何かの糧となっていく。そうやって小さな島で全てが共存している。・・・生ってスバラシイ!!

私は、この点は良かったと思ってます。生への賛歌が監督の言いたいこと、伝えたいことだとしたら、すごくよく伝わってきた。
だから今回面白かった。

ただし。

別の意味がなくなった。

つまり、メイスンがいないことでヨック島という地球に存在する「人間」の異質さがまるでなくなってしまいました。

だって人間は食物連鎖における頂点であり、全てを覆す存在だから。
食物連鎖の鎖を断ち切って、種を滅ぼしてしまうことだってある。人間による乱獲のせいで絶滅危惧種となっている動植物はいったいいくらあるだろうか。身近なところで言えば、山の中で道路整備等で開発が進んでしまいイノシシやらクマやらが田んぼや畑を荒らしてしまうわけです。この場合、悪いのはどっちなんでしょう。

ましてや人同士で争いをしてしまう。争いの結果死んだとしても、当然糧となるわけでもなく。
しかも食物以外の理由だってザラ(例えば宗教がきっかけとなったり)であって・・・。

「ここ 俺の島」「よそ者 殺す」

そういう謎の男(=メイスン)は、勝手に島を自分のものだと宣言してるわけです。
兄弟にしても無理やり送り込まれてしまった、いわば部外者。そうであるがゆえに、楽園とも言える場所で双方争いをはじめてしまう。
ここあたりを変にニオわせずにさらりと描くあたりが、荒川さんの上手いところなのではないでしょうか。

寝込みを襲われ、食物を盗られる。だから兄弟は必死になって彼と戦う。たとえ本当に島が男のものだとしても、修業のためには出ていくわけにはいかない。そして何よりも生きるために。

男の戦いと飢えとで、兄弟は死を実感する。だって動けないから。対抗することすらできなかったから。ふと見た先にあった蝉の死骸を運ぶ蟻の大群は、もしかしたらあるかもしれない自分たちの姿。FAとは正反対です。
「死」を実感した後に男に分け与えられた魚を泣きながら食う兄弟は、限りなく「生」を実感したんじゃないのか。FAにおいて「食う」という行為は生そのものの証、原作における「食う」という行為は「死」を裏側にはらんでいる根本的なもの、というかんじでしょうか。

食物連鎖だけじゃなくて、生と死を絡めて循環していくと兄弟は考えたんじゃないのかな。死んだら誰かが悲しむというのは主観にすぎなくて、死んだ肉体は分解されて土へと還り動植物を育てていく。目に見えないところで循環していく。人間すら。目に見えない大きな流れ、「一は全、全は一」の法則に従っている錬金術というものを学んでいく。



だから、兄弟は母親を人体錬成したんだ。

生と死すら巡り巡っていく。原作のこの場面で語られたのは、あくまでも<肉体>についてではあったけれど、兄弟は、それに魂すらも当てはめたんじゃないのか。魂も巡り巡って必ずどこかに存在すると考えたから。

FAでの「一は全、全は一」はあくまでも「生」の中だけで語られた。生きているってスバラシイ。


でもそれだと、兄弟は人体錬成をすることはなかったんじゃないのか。
「生」がそのまま人体錬成につながったんだとしたら、兄弟はどんだけ自分勝手のわがままなんだよ、と。


ストーリー上は兄弟が人体錬成をした第2話の後に来ています。
が、修業の後で兄弟は母親の笑顔を楽しみにわくわくしながら人体錬成をしたんだ。失敗なんてするはずがなかったから。この生と死すら循環する大いなる錬金術を使うんだから。この理論を得たからこそ、イズミの意図とは反して人体錬成にふみきったんじゃないのか。

FAは、とにかく「死」が描かれていない。特に主人公が感じる死について。スカー戦では、鋼ファンが水島版をさしていう「原作のエドは強い」をそのまま描写したんじゃないのかというくらい、何事にも動じなかった。そういや1話の時点で死んだ憲兵の横を表情ひとつ変えずに通ってたっけ。

「生」を強調して描くのは素敵なことだと思う。
が、同時に「死」もまた同じくらい重点を置いてほしかったです。

私的にチコを省いてほしくなかったのもそういう理由。見てて何かを感じるのは子供だけじゃなくて、動物を飼っている大人にだって響いたハズだ。

なのでこの話には裏側にある別の意味がなくなってしまった。

・・・FAに足りないのはそこかな。表現上の規制があったとかいうの以外の理由で意図的にのぞいているのだとすれば、非常に興味深いんだがどうだろう。

まあ、おかげで原作にしか登場しないヨック島にいる謎の男がいるんだから、原作を読む楽しみができたというものです。本当はその程度かもね。
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テーマ * 鋼の錬金術師 ジャンル * アニメ・コミック
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Comment
 

夜分に失礼します
水島版のエドは人を殺めてしまってます
そして全部一人で抱えてしまって前に進めなかった
水島版は徹底的に「死」を描いた
原作では比較的原型を残して死んだニーナがあとかたもなく殺される
原作では死なないイズミもマルコーもスカーも(あとヨキも)死んだ
不本意とはいえ人造人間・・・元は人間のグリードを自分の手で殺した
そして一度死んだはずの母親を封印・・・すなわちもういちど殺しました
これでもかというくらいに「痛み」が描写されていました
おそらく原作以上に
いいかえればだからこそ「生」があるかもしれません
でもそこに明るい「未来」はなかった
そして最後は「禁忌」を犯したエドは別世界に生きていくことを決めました
残ることはできたのに
私はこれを「逃げ」たんだと思います
一人きりで背負った「罪」を償わずに
原作では中盤、過去に練成したモノが母親・・・トリシャではないと判明します
でもそこでエドは絶望しません
それどころかアルの元の体を取り戻せるという確信を持ちます
そしてイズミもある意味救われます
故郷に帰る前に誓った「誰も死なせない」という覚悟を中盤以降貫き通します
甘いと言われても
そして何より原作のエドは「一人」ではない
自分と同じく成長しつつある弟やサポートをしてくれるマスタング組
一筋縄ではいかないブリッグス
自分の命を狙っていたスカーや合成獣の人達
必ずしも仲間ではないかもしれない
でも互いが一定の距離感を保ちながらも助け合ってる
それができるから前に進める、「償える」、そして「分かり合える」
「悲惨さ」「痛み」「死」確かにこれらの点は水島版が勝ってた
でもそこに強さはなかった
原作はもう佳境ですがエド達兄弟はどうにかして水島版ではできなかった「償い」をすると思います
入江版のopでも言っているように「ずっと苦しく背負っていくんだ」と
どうケリをつけるのかと楽しみです

NAME: | 2009.06.27(土) 04:07 | URL | [Edit]

 

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます!

私、水島版は原作鋼の「裏側」を徹底的に描いた作品だと思ってます。それは原作のネタばれを防ぐため(原作は原作で新鮮に読むことが出来る)でもあり、原作では描くことができない一面を描いた、と。

まあ、私は水島版ファンなんで、そこはファン補正していたりもしますけどね。

>水島版は徹底的に「死」を描いた

私もそう思います。ただし、完全な「逃げ」とは言い切れないんじゃないかなとも。

エンヴィーによって与えられた強制的な「死」、それも父親の顔をした少年によって彼は殺されてしまいます。
それはまるで、自分の恋人を殺された男に復讐されていることあ暗に示されているようで・・・。
>そして一度死んだはずの母親を封印・・・すなわちもういちど殺しました
そう書いてくださったとおり、母親を殺しています。
第3話で、母親はホーエンハイムの妻として死んでいきました。子供たちへの愛情は向けていたけれど、最期の最期の言葉は子供に向けられたものではなくて。でもそれは母の立場に立てば当たり前でもあるんですよね。苦しいときに愛する人にそばにいてほしかった~だなんて。子供にとっては母親が世界の全てだったのでそれが許せなかった。人体錬成は父親にできないことだから父親なんかに頼らずにやってやる、なんていうエドのセリフもありました。
そういうのを踏まえて、ホムンクルスの母親を殺した結果、ホムンクルスの父親(エンヴィー自身はホーエンハイムの息子が元となって生まれたホムンクルスであり、エドと血がつながった兄弟でもあります)によって殺されてしまうようなもので・・・ 父から受けた復讐といったところでしょうか。当の父親は全然そんなこと思ってないんですけどね。

これは、最終決戦に行く前、地下都市に行く時点で予感していたんだと思います。
人に頼ることを良しとせず、全て己で解決しようとする。賢者の石をエドがなぜ使わなかったのか。それは原作のように人の命が使われているから~であるのは一緒でも、原作とはまるで意味が違ってて、原作においては「すみません、使わせてもらいます」と懇願してるんですよね。対して水島版エドは人に頼ることを良しとしないために使わなかった。結果的に自分の肉体を用いて人体錬成したのは、その思いが究極にいきついた先にあったからだ、と。
エドは子供の頃から何一つ変わってなかった。だからこそ、「成長」していないとも受け取れます。

>私はこれを「逃げ」たんだと思います
>一人きりで背負った「罪」を償わずに

でも私は最終決戦における「死」が描写されている以上、逃げではないと思ってます。
だって、死者が甦ることは自然の摂理に反していることだから。エドはそれが分かっていたからこそ、ホムンクルス封印に固執していたんじゃないかな。自然の摂理に反するものを生み出した自分ですら、彼にとっては許せない者だった。アルには徹底的に賢者の石に近づかないよう、そして使わないように指示しています。アルはアルで動いているのでその指示に効き目なんてないんですけど。これはアルは自分と違って罪を背負っていないから、というのがあるハズ。罪とは、禁忌に挑んでしまったことに対して自分の勝手な意思だけでやろうとしてしまったこと、を指します。自分勝手なわがままで母親を生み出そうとし、なおかつアルまで巻き込んでしまった。しかもイズミの背負う罪まで背負おうとしていたり。

その上で死んだので、それ自体は逃げというよりも強制終了という感じでしょうか。死者は甦ることがない。アルの人体錬成で甦ったところでそれはおかしなことで、エドが結局アルの人体錬成を試すことができたのは一度彼が「死んだ」から。

シャンバラにおいて、彼は一度死んだ以上、錬金術世界にはいることができないんです。物語的には彼は生きてはいますが、錬金術世界に肉体も魂も存在しない以上死であることは変わりがない。ここは残酷なまでに「死」を表現しているので、「逃げ」とはちょっと違うかなと思います。
シャンバラでお別れをしたほうが~なんていう意見がアニメ夜話の公録でありましたが、それはできないんですよ。強制終了してしまった死者がお別れを言うなんてことはできない。うちの父も事故で突然亡くなってます。お別れなんて当然あるはずもなく・・・残酷な現実って奴です。私、あの場面で何も言わずに去っていったからこそいい、と思ってます。

物語だから救ってあげられる・・・これは荒川さんが別の漫画家に言われたことですが、水島版は物語だからこそ救いをわざと描かなかった、ともとれるんですよね。シャンバラで一瞬でも錬金術世界に戻れたこと、それが唯一与えられた「救い」でもあったはずで。

おっしゃる通り「逃げ」。でも、私は逃げたから水島版エドはダメな存在だとは思いたくないんですよ。ある意原作では描くことができなかった「逃げ」という裏側を描くことができた。
むしろ誰かが彼を叱ってやっていたなら。そうじゃないんだ!と言ってくれたなら、もしかしたら結果は違っていたんじゃないか、と。水島版における脇の連中は、彼ら自身もいっぱいいっぱいで、自分のことだけで必死でした。例えばマスタング。水島版においてオリヴィエみたいな人がいれば結果は違ったんじゃないかな。

原作における「強さ」の裏側を、同じエドワード・エルリックというキャラで表現できるんだから鋼は面白いんです。彼は罪を背負うほどに強い。だけど人と分かち合える強さはなかった。原作にはない弱さを持つことができて、清濁併せ持ったキャラクター性が大好きです。「償い」は、周りの人がもういいよ、と言うこと自も償いの範疇にはいるのではないでしょうか。少なくともエドの周りにいる人たちは、エドを認めていた。

とはいえ、他の人々からの非難は免れることはないでしょう。犠牲になった人々の家族がエドのせいだと知ったら彼を糾弾するでしょうね。それも合わせて描かれています。 水島版のいいところはそこです。何も描写されていない人たちがエドの行為に何を思うか、それを考えることができる。「逃げ」だと受け取られたのならば制作側は狙い通りなんですよね。あの水島版エドの行為に対して満足してはいけないんです。

というのは以上水島版語りで。

原作については書いてくださったとおりだと思ってます。
が、スカー釣り作戦は誰一人犠牲にしない、の宣言から少しずれた行為だと考えています。市街での戦闘で、お洗濯をしていた主婦のすぐ脇で戦闘している。死者を出さないというよりは、死者が出るはずがないという思い上がり。この点については後にうかつ者だとオリヴィエに一喝されます。水島版でも欲しかった存在であるオリヴィエに一喝されることでスカー釣り作戦のエピソードは完結します。

そうやって原作エドは人とかかわって生きていく。関わらなければどうしようもないから。私はこの部分が大好きです。エドが関わっていく人たちは、彼らひとりひとりが生きている。

でも、入江版はちょっと違うんですよ。アニメは原作の付属物ではありません。付属させるのならコミックスのおまけにでもつけとけばいい。今回の話で食物連鎖を重点に描いたことで、原作とは違う方向性を見出しました。なので、原作とは違う以上同じものは求めていません。生への賛歌だとしたら、後半どうやって持って行くのかが興味あったりします。

上記のチコとメイスンの語りは水島版のことではありませんよ。
そこを誤解させてしまったのなら申し訳ありません。
あくまでも原作の意味合いについて語っています。

入江版では話が省略されてしまった結果、主要キャラでのみ語られるようになってしまった。そこが一番残念な点でしょうか。

NAME:ともえあや | 2009.06.27(土) 07:42 | URL | [Edit]

 

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