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Mon
2009.04.27
22:55
 
フレッシュガンガン、まだ売ってなかったorz さすがに本州の端だと1日遅れ入荷みたいです・・・

さて、本日付で公式サイト(音量注意)にてDVDとブルーレイディスクの映像特典の詳細が公開されています。
リミテッド映像特典「盲目の錬金術師」だけではなく、荒川さん描きおろしBOX、おまけ4コマアニメ化、描きおろしジャケット、案の定グッズ化されたアイキャッチのカード、ブックレット、だそうです。

ぶっちゃけいろいろアニメ化するんなら本編のクオリティをちょっとでもあげて欲しいんですが・・・
オマケがなければ売れないのかな。
で、コメンタリーないのね・・・残念。
裏鋼の會川さんの毒が効いたギャグが恋しいぞっ。

それにしても、てっきりイベントで上映された制作スタッフのインタビューが収録されるんじゃとか考えていたけど入らないのかな。

ちなみにアニメイト通販では2巻の予約も開始されています。2巻ではアイキャッチカードを収納するケースが初回仕様限定版の特典とのこと。2巻の定価がDVDが6,090円で、ブルーレイが7,140円です。うー、どっちを買うかなー・・・密林だと安くなって更に電機店のカードにポイントも貯まるからお得なんだけどなあ。


以下4話Bパート感想続き。原作ネタバレ含みます。





 

more

夕方のシーンから一転、今度はいかにも雨が降りそうな暗さが漂っている。そう。いかにも<何かが起りそうな感じ>なのです。

で、何があったかの答えが示される。そこは暗闇だった。エドとアルは光側に立ち、タッカーは光と闇の間に立つ。眼鏡が外からの光を受けて輝く。まるで、天才であるエドよりも自分が優位に立ったと自負しているかのように。そして強烈な光で真実を悟られまいともしている。もともと顔色が悪いタッカーでしたが、もう肌に色なんてなかった(というかモノクロ)。人ではない、という演出か。
原作よりもタッカーと合成獣ニーナが奥に配置され、空間と光と闇とを使った演出が施されています。色味も極力抑えられ、このタッカーのいる空間そのものが異様な光景であることが分かりやすい。

で、エドが合成獣がニーナと気づくくだりですが・・・
原作どおり、初めてあったハズの合成獣がエドのことを「おにいちゃん」と言うハズがない、そしてニーナが見当たらないという二つで「勘の良いガキ」であるエドは異変に気付くわけです。でも、原作どおりなんだけど・・・ちょっと唐突かな、と。
水島版ではニーナが父親タッカーに贈った絵が破かれているのをエドが発見、という件が挿入されていて<エドがタッカーに疑いをかける>というひと手間がありました。
対して入江版では事前にエドアルとタッカーの会話イベントが発生しています。「あの頃には二度と戻りたくない」というタッカーの話を聞くことになるわけですが、ここでエドにもうちょいタッカーに疑問を持たせたほうが良かったような。タッカーの話はよくよく聞いてみたら一方的なんだし、実際ニーナと父親が仲良い姿を見せつけているので、タッカーが<娘を使って合成獣>を後にしでかすことをこのイベントでエドに気付かせるのは少々強引かなあ。見てるこちら側はいかにもタッカーがおかしなことをしでかしそうな雰囲気があると分かっているけれど、それとエドが気づくこととは別問題。ここは水島版のほうが分かりやすかった。確かに眼鏡で表情は隠れているけれど、その微妙な表情の変化をエドが察してほしかったぞ。

とはいえ、「ニーナとアレキサンダーどこ行った!!」はすごく良かったです。
タッカーの眼鏡はもう暗闇に隠れて、ついでに画面からはみ出して完全に見えないことと、上記のエドのセリフでエドの瞳が強調され、エドの言葉で真相に気づいたアルの瞳もまた強調される。
そして、弱冠間をおいてタッカーが振り向き、眼鏡の先にある瞳そのものがインパクトを持って示される。「君のような勘のいいガキは嫌いだよ!」そう、瞳を見られてしまうこと=知られてはならない真意が知られてしまった。それも、自分より年下のガキだと蔑み、また天才だと嫉妬していたエドワードに。
特に原作2巻31ページのシーンは、3話の演出のようなマンガのコマの通りにそのまんまやるのに比べたら雲泥の差でこっちの方が良かったように思います。

そして、エドがタッカーに飛びかかる場面で、一瞬扉の外の光をあびて色味が元に戻る箇所がある。このあたりは限りなくモノクロに近い色味なので余計に目立ってしまいます。これはエドがタッカーとは違うんだ、という強調なのでしょうか。
「人の命を弄ぶようなことが!」
開けられた扉の外から入ってくる光にニーナ合成獣が立ち、両側の暗いところにエドとタッカーそしてアルがそれぞれに立っている。
ここ、普通のアニメだったらエドやアルは光のほうにいるんだろうけど、鋼の場合は暗闇側に立つ。

それは、錬金術師としての「業」を持ち合わせているから。どんなにエドが違うと叫んでも「目の前に可能性があれば試さずにはいられない」という側面は変わらない。そこにどんな事情があろうとも、可能性があれば試さずにはいられないからこそ人体錬成をした・・・違う、違うとどんなに叫んでも、どんなにタッカーを殴ろうとも、どんなに想いは違うとしても、残酷なほどに変わらない側面がある・・・からこそ、暗闇にエドもアルも立っているんじゃないの?想いが純粋だったこと。国家錬金術師の資格を維持することに執着したこと。エドとタッカーの行為そのものは変わらない。だから、エドとアルが立っている場所は決して光ではなく闇。

以下原作ネタバレ
でもまあ、ここらあたりは原作11巻でいったんケリがつく。人体錬成の結果が「何が」出来たのか・・・原作と水島版との方向性が決定的に分裂して、原作において結局あれは人ではなかった。でも人間の定義が広いエドはそれすら「人間」だと受け入れて墓を作っているわけです。原作ではどちらかというと、エドとアルはタッカーのように闇、つまり本質的に錬金術師の業を持ち合わせているというよりは、自分たちが錬金術師の業を背負っていると「自覚」することで「受け入れた」、と解釈できる。受け入れたからこそ、11巻以降は次のステップに進んで誰一人犠牲にせずに進むと兄弟で決意するに至る。まだまだ初期の段階の入江版エドは、まだ受け入れるには足らなかった、と考えると11巻エドは成長してるんだなあとしみじみしてしまいます。

殴られることで眼鏡が砕け落ち、ついにタッカーの本心がさらけ出される。それにエドは憤りを隠さない。タッカーの本心は、エドには全然分からないなんてことはないだろう。分かるからこそ、憤るんだ。

「それ以上やったら死んじゃう!」の後、エドが急にニーナの方を振り向くけど・・・ニーナがエドを止めた印象があったのは原作ではなく水島版だったか。ニーナが殴るエドを止めてなかったっけ?と思って原作読んだらそういうシーンがありませんでした。おやおや。
「おとうさん、いたい?」てニーナに言われたら、エドにしてみたら余計につらかっただろう。もう、殴るのをやめるしかない。
でも当のタッカーはニーナではなく銀時計のほうしか見ていない。天秤にかけた結果、ニーナではなく資格を選んだのだ。もう迷いもなくなっているんでしょう。この娘と父親の食い違いが切ないです。これをエドアルとホーエンハイムに重ね合わせてみると、今の原作のホーエンハイムがすごーく良い父親に見えます。

もしかしたら~ですが。
タッカーというひとつの父親像を見たからこそ、ホーエンハイムを毛嫌いした面もあるんじゃないかなあ。実際に覚えているのは父親の背中でさびしい記憶しかなかったとすれば(ここでBパート冒頭の演出ですよ)、ひとつの可能性として自分たちの父親までもタッカーのように自分の子供を存在を否定してしまう者だと想像してしまうかもしれない。タッカーに自分の父親を重ね合わせた部分も、もしかしたら、あったかもしれません。まあ、妄想だけど・・・

タッカーの国家錬金術師の資格への執着が随分と強く描かれています。前に感想で書きましたが、スカーと絡めているので国家錬金術師という制度そのものへの疑念が出てくる。エドがタッカーの銀時計をけり上げるのは、エドも疑念があるから。でも国家錬金術師としてエドが受け入れられる炭鉱の話をすっとばして、ついでにロイの描写がものすごく薄いので、錬金術師の裏面ばかり強調されて表側の描写がそれほどないのが少々気になった。これから先、国家錬金術師を象徴する銀時計に覚悟を刻んだってのが分かるシーンがどうなるのか気になってしまうぞ。表も裏も全て受け入れて貪欲なほどに前に進むというのが原作エドだと思ってますが、ちょっと偏っているような。で、原作2巻では憲兵がロイとエドの国家錬金術師としての実力に「人間じゃない」と驚くシーンがありました。なんというか、炭鉱にしても憲兵にしても主人公を俯瞰する第三者視点がないのも気になった。
原作は炭鉱、トレインジャックと続けてニーナの話を置くことで「国家錬金術師」の存在のバランスを保っていたように思います。

階段での大佐の話。
過去3話のマスタング大佐の描写がすごく薄いのが残念です。ああ、残念ですとも。特にトレインジャックで国家錬金術師として力を見せつけていないので「人間じゃねえ」とも言われていない。だからマスタング自身もまた錬金術師の業を持ち合わせている、ていうのが薄くなっていないかな。ついでに「風邪をひく」のセリフ聞きたかった・・・。全体的に4話はすごくいいのにもったいない。

「人間なんだよう!!」雨が降る空を見上げながら叫ぶ。ここで何気なくエドの瞳が見えません。タッカーとの会話ではエドの強い瞳が強調されていたので余計に印象的です。
このときのエドは、迷っているんじゃないかな。今までただただ前に進んでいたけれど、はじめて迷いが生まれたんじゃないのかな。
涙を流さないエドに代わって作中の天候描写が涙を流してくれている。原作通りです。
ニーナがスカーに殺されるシーンは稲妻で表現されていました。

そして、やっぱり強調されるスカーの瞳。人間なんだよと叫ぶエドの表情は見えなかったのに、スカーの表情はおろか強い瞳もはっきりと映し出されています。イシュヴァールの証である赤い瞳が。
それは迷っているエドと違って、迷いがない目だ。


・・・エンディングが特別仕様になってるか期待したのは私だけじゃないはずだ・・・


・・・えらく感想が長くなってしまいましたorz
簡潔に伝えたいところだけすぱっと書ければいいんですが、完全に実力不足ですよ・・・

とにかく4話は良かった。良かったというのは内容的におかしいかもしれませんけど。
シリーズ構成自ら書いた脚本よりも良かったっていう・・・
で、原作コミックス2巻第5話をこれでもか!と読み返してしまいました。
しかし、シリーズ構成が自分では脚本書かなかったのかと変なところで残念だったのは水島版の影響が強いからでしょうか。

原作もタッカーの瞳は意識的に描き分けられていますが、今回のアニメでは特に強調された印象があります。なので瞳に注目して見ると面白いかも?

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テーマ * 鋼の錬金術師 ジャンル * アニメ・コミック
Trackback(1) Comment(4) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

 
Comment
 

こんにちわ
管理人さんならもしかして気づいてる点なのかもしれませんがあえて書きたいと思います
鋼FA4話、大体は管理人さんと同じような感想です
ただひとつだけ気になった箇所がありました
それはタッカーの「奇麗事だけで(うろ覚えですが)・・・」の台詞のあと
アルフォンスの「今度は僕がブチきれる」という発言が無かったということです
これがないせいかどうにもアルがただの冷静な子にしか見えなくなってしまいあの「静かな怒り」が表現されなかったことが惜しいです
水島版でもこの台詞はありませんでしたが
その理由としては時系列の関係もありまだ「11歳」の子供だったからという事だと思います

NAME:ウラル | 2009.04.28(火) 17:56 | URL | [Edit]

 

こんにちは。

「今度は僕がブチぎれる」は確かに省かれていましたね。
記事中に書かなかったのは、正直普通にスルーしてしまったからです。どっちかというと水島版ファンなので、どうしてもそっちの7話の印象が強くて。あとで原作読んでみて、なかったな、と。
なのでずっと考えていました。

このセリフは、アルを見せるのに一番良いセリフなんですよね。
主人公たるエドと同じく、主人公たるアルとして。
タッカーを殴っていたのはエドでしたが、もしあの場にアルしかいなかったら・・・アルはタッカーを殴っていたかもしれません。殴らずに冷静に詰め寄ったかもしれません。エドとアルが各々一人の人間として描かれたのが、原作のあのシーンなのではないかなと。

ところがそれが省かれてしまった。変わりに挿入されたのはエドがタッカーの国家錬金術師の資格である銀時計をけり上げるシーン。今回の話の筋が、兄弟が旅の過程で遭遇した悲しい事件、というよりは国家錬金術師制度への疑念のほうが強く描かれてしまっています。エドは国家錬金術師なので、タッカーと同じ資格を持つが故に錬金術師とは何か、何をやってもいいのか、で憤る(そもそも錬金術師の描きこみが薄いですが)。なので身も蓋もない言い方をすれば、アルは国家錬金術師ではなかったからセリフも省かれてしまったともとれてしまうんですね・・・

制度への憤りも、今後アメストリス全土のネタが出てくれば繋がってくるんですけど(銀時計を大総統に返そうとしたシーンもありましたよね)、はじまったばかりの今、キャラの名シーンを見せないでどうするよ、と。感情移入できるのに!こういうところが入江版の掴みの悪さだと思います。このセリフはページ半分近く使われてるんですよね。他で原作まんまのコマを使っているのに、インパクトあるセリフをなんで使わないのかが疑問です。

水島版では、アルは憤りのセリフをタッカーに言ってるんですよ。ニーナのために査定を受からなくちゃいけないんじゃなかったのか~みたいなセリフを。こっちに置き換えたのかなあと考えています。11歳の子供だったこともあり、兄に従順だったが故に立ち位置が一歩下がってしまったのかな、と。水島版アルが感情にまかせて人を殴るなんてちょっと想像できないんですよね・・・

NAME:ともえあや | 2009.04.30(木) 00:43 | URL | [Edit]

 

おお、返信ありがとうございます
入江版が劣っているというわけではないのですが
水島版の今放映している部分の前半の演出力はかなり優れていたんだなと思います
7話でヒューズの幸せな家庭とタッカーを対比させたりハボックの大佐への信頼など原作にはない要素をうまい具合に挿入できてたのが理由かと
そしてラストの朴さんの嗚咽の声
あれは12歳の少年が本当に泣いているようにしか聞こえてなりませんでした
追い討ちをかけるようにあのED・・・
これはアニメ史上指折りの演出だと思っています

さて色々水島版のことを書いたんですが私が思うことをひとつ書き綴ります
水島版はひたすら「過去」を強調しています
だから前に進めずあの結果になった
対して入江版は描写が淡々としています
それは「過去」に縛られることなく前に進む「未来」を描写しているんだと思います
opの歌詞にもそれが現れています
なにより今回原作基準の「人間なんだよ」という台詞
水島版の泣いて終わったエドワードとは違い未来があります

以上のことより入江版のテーマは「未来」だと思っているのですがどうでしょうか?
かなり長い駄文を失礼しました

NAME:ウラル | 2009.04.30(木) 13:17 | URL | [Edit]

 

いえいえこちらこそ、お返事遅れてすみません。

入江版は劣っているというわけではないんですよね。
ただ、足りない。
尺もテンポも間もキャラに感情移入させる心理描写も足りない。
もったいないです。4話みたいな演出をずっと続けてくれたなら盛り返してくれるだろうと期待・・・しております。

水島版7話はアニメージュのストーリー部門で1位をとってました。水島版DVD1巻の初回限定版に「FULLMETAL ALCHEMIST to the backbone」というブックレットが封入されていて、そこに水島監督が以下のコメントを述べています。

「あの話を読んで、アニメを手がけて見たくなった」

そりゃあ力が入るハズなんですよ。
これを演出するんだ!という気持ちがものすごく強かったのではないでしょうか。それがアニメージュの読者投票で1位を獲得した、というのは、監督やスタッフの気持ちが見てる者に通じたということ。熱意って、伝わるものなんです。

入江版は「未来」・・・そのとおりだと思います。
過去話ではウィンリィが目立ってましたしね。

私、ウィンリィは未来の家族の象徴だと考えています。ホーエンハイムとトリシャが出会ってエドとアルが生まれ、後にウィンリィという幼馴染と出会って、今ではお互いがちょっとだけ意識しあう仲に。他の方には異論があるでしょうが、最終的にくっつくんじゃないかと。家族が分散し、再び結束し、家族から離れ新たに家族を作る。トリシャが過去の家族の象徴ならば、ウィンリィは未来の家族の象徴じゃないかななんて考えています。
水島版ではウィンリィはリゼンブールの憧憬と込みで「過去の象徴」だとアニメ夜話で會川氏が述べています。だからこそ水島版の彼女はトリシャ同様「待つ」ことに固執していた。
原作のウィンリィは未来の象徴ですので、エドと同じように修行するし、エドと同等の立場でブリッグズの雪山で行動したりする・・・入江版は原作どおりのストーリーラインを展開しているので、きっと原作同様にテーマは未来にあるでしょうね。

NAME:ともえあや | 2009.04.30(木) 20:39 | URL | [Edit]

 

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