21巻はアルが表紙と見せかけて、その実プライドでもあるよーな。
背表紙は、カバー裏も含めてグラトニー。今思えばマスコットキャラみたいなものでした。
折込チラシは公式サイトのデザインまんまのアニメ化アオリ文句。赤に黒文字って、どうも「まごころを、君に」のエヴァを思い出しちゃうんだよなあ。
著者コメント。この巻から最終章だそうです。コミックスまとめ読みするときにすごく便利ですね。最終章と言えば銀魂アニメもか。終わってほしくないなあ。
全然関係ないですが・・・「思えば遠くへ来たもんだ」てのは、昔好きだったラノベ「魔術士オーフェンはぐれ旅」の無謀編(シリアスな本篇と違うギャグ短編集)の最終回あたりはこういうタイトルだったっけ。オーフェンの原作完全準拠アニメ化とかないかなあ。鋼はアニメ肯定派ですが、オーフェンはバリンバリンの原作派だったり。オーフェンがキラキラ美青年なアニメは今見ても笑える。ていうか、オーフェンの二つ名が「鋼の後継(サクセサー・オブ・レザーエッジ)」だとか黒ジャケット黒ズボンの全身真っ黒+皮靴ていう出で立ちだとか、金髪の女の子と可愛い系の弟分がいる〜とかだったので、「鋼」を見始めたのはここだけの話。おまけ4コマがたくさんありました。お気に入りは「強盗」。パパン大好きだw
脈絡のない大量の本を買う + 領収書名は「荒川」
ということであっさりと身元がバレた〜というのは・・・意外と世界は狭いんだなあ、と(笑)。
「鋼」の認知度が高いということなんでしょうかね。ていうか、知人さんがハガレンファン?古書店の店主が言った本のタイトルから、鋼に関係あるものだって思ったわけでしょう。もっとも、そういう元ネタの本のラインナップを見たところで頭のクソ悪い私だったら買ってく人のことなんざ想像もしないでしょうが。単に「荒川」ってだけで反応するよ(笑)
本編については、相変わらず面白いです。内容が濃いので読むのに時間がかかります。時間がかかるのは単に私がバカだからだろうと言われればその通り。前の巻なり、それ以前の話なりが絡んでくるので、自ずと全巻読み返すハメになるのもいつものとおり。
ここでも感想は書いてますが、もっと有益な感想を書いていらっしゃる方がたくさんいらっしゃるのでそちらでどうぞ。
こちらとか、
こちらとか。
こちらはレベルが高いレビューがたくさん集まっている場所です。
本ブログは、本当に、まったくもって、アサッテな感想しか書いておりません。クソ真面目にクソおかしい感想ばかりです。てめえ、鋼のこと全然分かってないよと思ってるでしょうそこのあなた。ああorz
自分で書いて自分で落ち込んだのでこういう話題はここまでにしておいて・・・
以下アサッテでもオッケーという方のみどうぞ。
本編は、ウィンリィがとにかく可愛いです。ウィンリィファンは買い!な21巻です。とはいえ21巻だけ読んだところで話がつながらないので全巻買いましょう。
「生かす手」なウィンリィにボコボコにされるエドは、本当に、ウィンリィに惚れてるんだなあ、なんて思います。「生かす手」ってのはラッシュバレーのおさんどんを指しているのでもあり、「好きな子には潔癖でいてほしい」的なアレも確実に含まれているのではないでしょうか。
それはともかくとしても、鋼におけるエドウィンは、物語後の展開・・・つまり「家族」というコミュニティ形成を思わせてくれます。後に彼らが結婚なり、子供を作るなりして、ひとつの「家族」が形成される。エドとアルの兄弟は、互いに大事な人を見つけ、各々の「家族」を作る。いつしか家族は増えていく。
大元のクセルクセスの奴隷だったホーエンハイムから考えると、時を経てトリシャと出会い子供を作り、やがて子供たちが大事な人を見つけてまた子供ができる〜てなふうに考えると、なんだか壮大な物語のような気がしてくる。
これってすごくないですか?
や、当たり前のこと、なのかもしれない。結婚して、子供を作ることって。
でも、ある種、すごく特別な出来事のような気がしませんか?
全は一、一は全。
たった一人の人間が、同じくたった一人の人間と出会うことで、人が増えていくのですよ。たった一人の男と同じく一人の女から、別の一人が生まれてくるのですよ。
一人だけじゃ何もできないくせに、もう一人が存在することで人が生まれることが可能なのですよ。
かつて兄弟は「母親の笑顔が見たくて」母親を作ろうとした。結果的に母親ではないモノが生まれた。
当たり前だ。たった一人の男から、人が生まれてくるものか。そこに女がいないのだから。死んだ者の魂は蘇らない。そして、たった一人の男からは人は作れない。鋼世界では、作れたとしても、フラスコなりホーエンハイムに模した空の器の中でしか生活できない、極めて不完全な存在だ。いかに強大な錬金術が使えようとも、アメストリス全土を覆うような影を使役できても、生まれたばかりの赤ちゃんが免疫に弱いように、フラスコから一歩出れば生きてゆけないのだ。
それを思えば、エドとウィンリィが出会って愛情を育んでいる(というほど大袈裟じゃないけど)今の展開って、物語の根幹になる必然的な出来事だと思うのです。ひとつの家族の果てには、もう一つの家族としての始まりが待ち構えている。すごく素敵なことだなあと思うのです。
そういうのを踏まえて21巻を読むと、エドがウィンリィに「国外に逃げろ」とか言っちゃったあと、ウィンリィに盛大にボコられますが、これ見てるとすごくいいコンビに見えるのです。コンビっつーか、おしどり夫婦?亭主の尻をぶったたけるのはウィンリィのみ。イズミ師匠だと頭があがらないエドでも、ウィンリィ相手じゃ適当にあしらったフリも出来つつ(男としての面子が保てる)、素直に言うことを聞くこともできる。たとえば大佐だったり親父だったら癪に障ることでもね。ウィンリィにしかできないこと、それはエドのケツを叩くこと。だったりして。
生物学的に一人では人は生まれないのと同時に、精神的にも一人では何も生まれない。鋼って、お説教くさいことをさらりと物語に織り込んでくるような気がしてならない。
最終回にエドとウィンリィと、ちっこい子供たちと、ばっちゃんと、アルの家族と、トリシャとホーエンハイム、ウィンリィの両親の写真を並べて大きな家族写真を撮りました〜的な展開だったらいいのになあ。17巻のエルリック一家の家族写真のエピソードが超好きなんです。ああいうのがもう一度見たい。「一緒に老いて死にたい」だったホーエンハイムに対して、「一緒に老いて生きたい」というエド〜みたいなのというか。
うーん、なんというか、21巻描きおろしでぐらまーなウィンリィがありましたが、ちちがでっかいウィンリィって、どうも「母親」の象徴のように見えるんですな。せくしーというよりは、子供が抱きついたらあったかそうだな〜みたいな。かつて母親の笑顔が見たかったエドですが、ここに笑顔があるじゃん?母親であるトリシャではないけれど、ウィンリィの笑顔はエドが自分で得た笑顔じゃないか。
この21巻から最終章突入の「鋼の錬金術師」ですが、世界の謎がどうたらとかじゃなくて、物語の構成的に伏線がうんたらかんたらじゃなくて、私にとって鋼は「家族」の物語なんですな。ホムンクルスたちだって家族を形成していたし。その家族がバラバラにならないよう、そして新たな家族がはじまるように、願っています。