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Thu
2006.06.08
20:32
 
最終回の切なさがものすごく好きだったりします。 

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鋼の錬金術師 第51話(最終回)『ミュンヘン1921』

さ、最終回・・・orz
この時期に見ると、なんかものすごく寂しくなってしまいます。

今回はアバンなし。前回は予告なし。この回の情報は、ほとんど公開されませんでした。3大アニメ誌ではこの回のあらすじなんつーものはありませんでした。ただ、テレビ誌等で軽い予告はあったみたいですけど、それでも内容を考察できるほどではなかった。っていうくらい徹底されていたおかげで、見てるこっちは、死んだエドがどうなったのか、果たしてエルリック兄弟は元に戻れるのか、大総統に立ち向かったロイはどうなるのか、固唾を呑んで見守るしかなかったわけです。

のっけから胸を貫かれて倒れるエド。混乱するアル(賢者の石)。兄さんが死ぬはずない!混乱したアルは暴走を始める。自分は死ぬはずだった。なのに生きてる。生きてるのは兄さんのおかげ。だから・・・賢者の石で兄を錬成・・・

兄さんはまだ死んじゃいない。ほら、こんなにあたたかい・・・

死にゆくエドがあたたかいはずがない。でも、まだエドの魂が門の前にある、まだ間に合う、今兄を錬成すれば・・・間に合わせてみせる!こういったアルの悲痛な叫びが聞こえてくるようで切ない。
死んだ人間は生き返らない。これは絶対。ただ、肉体的には死んでいても、胸を貫かれたエドの魂が、直接あの世(この場合門の内側)に行くのではなく、胸を貫かれる(魂が肉体から離れる)→魂が門の前に立つ(生と死の狭間)→門の中へ(完全なる死。母の影や劇場版のイズミ)とワンクッション置かれるのだとすれば?
肉体的にエドは完全に死んでいた。これは間違いない(だから魂が遊離した)。ただ、母の錬成と違うのは、母は寄せ集めの物質を使って肉体の代わりにしたのに対して(だから失敗)これはエドの体そのもの、だということ。賢者の石と化したアルは、遊離したエドの魂・死んだエドの肉体・ラースから離れた門の内側にあったエドの右腕と左脚、以上の材料(というと語弊がありますが)にして錬成し、再構築した・・・その結果右腕と左足を取り戻したエドの復活・・・。人体錬成成功。

と、無理やりこじつけてみましたよ。とはいえ死んだ人間が生き返る、といった構図にしか見えないのも事実。うーん・・・こういうの、どうだろう。
まあいっか!!!(オイ)

当のエドは、人体錬成による負荷が多すぎたのか消えてしまったアルを失って混乱。エドの目的は、自分のせいで巻き込んでしまった弟の体を取り戻すこと。初期の頃から、国家錬金術師になるというアルに対して「こんなのになるは俺だけで充分だ」だとか「お留守番、できるだろ」とアルを大事に大事に扱ってきたエド。全ての行動に付随する世間からの蔑み、罪は自分ひとりでかぶっていればそれでいいと思ってきたエド。その結果が、いなくならなくてもいいはずのアルが消えて、散々罪を背負ってきた自分が生きてて・・・矛盾に感じていたことだろう。だから。

お前が消えちまうことなんてないんだ。戻って来い。アル・・・

自らの体を代価にしてアルを錬成するエド。門のなかにあるアルの肉体(エドはアルの体が門のなかに引き込まれていくのを見ていた)と、門の外で一瞬見かけたアルの魂とを錬成し、再構築し・・・アルの復活。
本人は・・・錬成する過程で門に引き込まれたが、現実世界(ミュンヘン)へと通り抜けた。無意識に精神と肉体を失わないようにエドが願ったとはホーエンハイムの弁。
初期のころ、エドはものとものを等価交換するのが絶対だと信じていた。何かを失って何かを得る、そういった行為はおかしいと思っていた(第16話『失われたもの』の老人との会話)。けど、自分で同じことをやってる。あのときの老人の言葉をエドが様々な経験を経て理解できるようになったんだろう。
とはいえ、やっぱり自分の体は手放したくなかった。アルを錬成するとき満足げに消えていったくせに、やっぱりアルが本当に復活したかどうか実際に目にしなければ信じられないほどに不安がっている。身勝手だななんて思うのと同時に、人間の欲深さが表現されていて、見てるこっちは身につまされる。
けど、不思議とエドにこの身勝手男!なんて怒る気分にはなれない。それはきっとエドの物語をずっと見てきて、彼の切羽詰った感じや罪悪感などをいろいろ知っているからだろうな。まー何よりも私はエド好きだからなわけですが。

エドの右手左脚が再び失われたのは、彼の罪悪感のあらわれ、罪は罪として一生背負っていく(タッカーに対して「(罪の形を)抱いて生きていく、それでいい」という台詞。第48話『さようなら』)つもりだったからなんでしょう。自分たちの体を全て取り戻す=罪をなかったことにする、のではなく罪を抱いていきていく。最初言ってたことと違うけど、こういう考え方の変化は彼なりの旅の経験からきた成長の現れなのでしょう。最初に言ってたことが全て正しいとは限らないのは、このアニメのお約束(等価交換の否定など)。

復活したアルは10歳の体だった。元の体に戻るのに、何かをさしだせば元に戻れるだろうとはホーエンハイムの弁。何かとは、自分たちの罪の証のスロウスではなく、鎧となって旅をした記憶・経験といったものだった。エドが錬金術世界での自らの居場所を失うのと引き換えにアルが復活したけれど、今度はアルが自らの4年の経験を失うのと引き換えに10歳当時の記憶を持って蘇った・・・なんだか、罪を自分で背負おうとしたエドが、アルは本当は罪を犯していないんだ、全部自分の責任なんだ、だからアルは母の錬成する前の状態で元に戻ってくれ、だったら罪を犯していないことになる・・・と願ったからに見えてしかたがないんだけど。アルは経験を代価に差し出したというよりは、エドに持っていかれたような気がしてならない。

大好きだったエドが消えてしまった悲しみをぐっとこらえているウィンリィが切ない(劇場版よりも、このテレビシリーズ最終回の彼女のほうがよっぽどかわいそうだと思うんだけど)。心の奥底ではこうなることが分かってたんじゃないか。でも、自分にはどうすることもできなかった。エドは自分を必要としてくれているだろうか・・・だったら修行して、最高の機械鎧技師になる!

エドが実際にいなくなった後の決意というのが悲しい。これから先エドが帰ってくるかどうかも分からない状態なのに・・・遅いんだよ。エドがいるときにそういった決意をしてこそだと思うんだけど、それだけエドの事が好きだった・・・周りが見えなかったほどウィンリィは子どもだったということか。

エドの帰りを待ってあげてた・・・けれど彼女には待ちわびたエドの悩みや苦しみを受け止めてあげるだけの力量が、まだなかった(だからみつあみを結うことしかできなかった)。受け止めようと思ったら、彼女自身エド同様に成長するしかない。どうやって?いろいろ経験をつんでいくしかない。ラッシュバレーで修行して多くの人に出会って。自分から行動して初めて一歩前に進める。立って歩け、前にすすめ、立派な足(ウィンリィの場合機械鎧技師としての能力)がついてるじゃないか。エドがこの台詞をウィンリィに言わなかったのは、照れくさいのと、彼女なら大丈夫という信頼感があるからだと思うけど。
人のために何かしたい、そう思ってはじめて成長すると思います。今はエドのためだけに頑張ろうと決意しているけれど(劇場版にて成長したエドにぴったりあう機械鎧の作成)、これがエドだけでなくもっとそのほか大勢の機械鎧を必要とする、彼女を必要としてくれる人のために頑張れてこそ、ウィンリィは成長できるんだよ。がんばれ、ウィンリィ。

あれ、長くなった。続きます。
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