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Mon
2012.09.24
11:05
 
見てました。
ガンダムシリーズは見ることにしてます。

以前ガンダムOOのテレビシリーズ感想はここで徒然と書きなぐってましたが・・・

というわけで、一応全話見終わってなんだかすっごくモヤモヤしたので感想を。
ちなみに小説版は読んでません。

 

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イイハナシ風というかなんというか。



<戦争>という<集団>による脅威を扱っておきながら、個人の物語に終始していた印象。
個人だけの力ではどうにもならない無力感。ガンダムでさえ力が及ばない。ゆえに人は他者の力を求め、協力していくしかない・・・という答えに行き着くのにどんなに時間がかかったか。

物語の展開はアスノ三世代を軸にした、壮大な物語。いや、壮大といえば聞こえは良いんだが。
要は一人ですむはず物語を3つに振り分けただけで、本来あるべき経験に応じた人間関係の広がりから得られる協力者を息子や孫にしたために、それらを簡単に手に入れてしまった。人間関係の広がりから得られる協力者・・・そんなものを得るのは並大抵のことではないんだよね。軍の上層部に上り詰めたことで得られる<部下>と違って、協力はしても時には意見を違い、時には敵対する。だけど共通の意思を持ったときには誰よりも強固な繋がりを持つ。簡単に言えば<友人>だ。それが全部身内で済んでしまった。

最終的にフリットの像が建立されていたのには笑うしかなかった。常にヴェイガン殲滅だと声高々に掲げていた彼が、最終回にぽーんと他者との協力を仰いだことでああまでなったんだから(笑)人間なんてずいぶんと簡単に騙されるもんなんですね。ああ、それはヴェイガンの理想郷とやらに絆されて簡単に自分の意思を変えた(洗脳されたともいう)ゼハートへの皮肉か。

救世主になった?それはアセムやキオの説得があったからこそで、彼一人が救世主では決してないんだよ。他の誰かの存在は絶対に必要となる。だいたい「救世主」なんて自分で語っちゃだめだ。他人が語ってこそナンボのものだ。キオは他人といえるのか・・・?キオもアセムも、<もうひとりのフリット>でしかなかったんじゃないのか?フリットが悩んで悩んで自問自答を繰り返して自己の進むべき道を模索していく・・・それをアセムやキオに置き換えたんじゃないのか?フリットの残酷なまでのヴェイガン殲滅の決意は、最終回でこそ過去に誰かを守りきれなかった自分への戒めのように語られた。確かにそうだろう。だけど、肝心なフリット自身の思いの描写がほとんどなかったせいで、最終回でぽんとフリットだって悩んでたんです!といわれても納得できるか?
血のつながりは濃い。家族をほっぽりだして長らく放浪の旅に出ていたアセムが簡単に家族に戻れるほどに濃い。そんな連中の語る世界というものは、その血の濃さに比べてどうなの?

AGEの違和感は、最終的にヴェイガン側の人員の、それも上官レベルていうか名前がエンドロールでクレジットされるメンツのほとんどが死亡してしまったところだ。肝心なイゼルカントさえも最終回で何故か改心して(笑)イイヒトになって死んでいった。敵側のトップが死んでしまった上での協力体制?そりゃあこうでもしないと話が終わらないだろう的な強引さがありありと読み取れてなんだかなあ、と。フリットの掲げるヴェイガン殲滅作戦がある意味成功したというわけだ。残されたヴェイガン側の部下は、優位に立つほうに従うしかない。そうとしか見えなかった。ていうか和解なのかあれは(笑)

アセム家の血の濃さをふまえると、ある種残酷なほどに現実的というか、的を射ている。

立場の違う者との繋がりなんてものは、血のつながった者同士では描けないものがあるはずだ。
血の濃い身内3世代を主軸にして描く・・・というのであれば、過去成し遂げられなかったことを成していく各世代それぞれの人生が描かれるのかと思ってたら、割とフリット個人の話に終始してました。頭の超固いジジイを相手に苦労する若者世代の物語といったらいいのか(笑)

ゼハートが最終回手前で死んでしまったのがとても残念でした。フリットにできない事柄をアセムがやり遂げる~というわけでもなかったのでアレだが、アセムの親友という立ち居地にいた彼はフリットとは違う視点・方法で物事を成し遂げると思ってた。戦死者の名前をすべて覚えているというほどの部下に対する心遣いは消えうせて、イゼルカントに洗脳された形で暴走して(笑)フリットに都合よく殺される立ち居地にまで堕ちてしまった。アセムと対決したのがせめてもの情けだったのかなあ。フリットの掲げるヴェイガン殲滅がおかしい事だと証明するわかり易い対比だったのに残念。正直、彼が殺されたことでヴェイガンの選択肢は殲滅するまで戦うか、降伏するかの両極端などちらかしかないのはわかりきっていた。フリットの考え方の違和感を示すのは息子のアセムであるのと同時に、敵対するゼハートであるべきではなかったのか。自分が出来なかったことを次の世代が成し遂げるという醍醐味は、血のつながった息子や孫で帰着してしまった。三世代の壮大な物語といいながら話が小さく見えるのはこれも原因ではないかなあ。



まあ何にせよ1年間お疲れ様でした。なんで私見てるんだろと思いながら見てた。
エピソードが大量にありながら全く感情移入できないのは、ひとつひとつの描写が淡々とした事実の記述だけだからなんじゃないかなあ。交流を音楽付きの映像で流されたユリンが殺されたときもアレだったがキオがヴェイガンに連れて行かれて友達になった男の子が戦場に出てたけど(名前忘れた)、感情を持った人が簡単に殺されてしまう絶望感・空虚さと、描写不足による置いてきぼり感は違うんだなあ、と。もう死んじゃった、そう思った人たちがなんと多かったことか。


来週のこの時間は「マギ」。原作は読んでないけど一応視聴予定。
最初は特別番組のようですが、なんでいっつも芸人が出るかなあ。
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